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2009年11月11日 (水)

ナイルに死す?

 念願のエジプト旅行に行ってきた。

 感想。

 凄い!!

 そして

 疲れた……

 エジプトのツアーには大きく二つのタイプがあって、ひとつはナイル川を船でゆっくり旅するクルージングタイプ。もうひとつは、世界遺産の三分の二を占めるとも言われるエジプトの遺跡をとにかく欲張って回るというタイプ。ぼくは一人参加だし、何度も行ける所ではないだろうと、後者を選んだ。

 印象に残っているのは、一日300人限定といわれるクフ王の大ピラミッド内部へ入れたこと。以前から写真や映像で見ていた大回廊や玄室に直接触れることができて感激。それから、以前観光客がテロに巻き込まれた、砂漠を300キロ走破したところにあるアルシンベル神殿に行けたこと。武装警察の護衛がつかないと観光バスは走れないため、警察の都合に合わせてホテルを午前3時半に出発。そのおかげでバスの窓から、砂漠の夜明けを眺められるという嬉しい付録もついて、現地の雄大さにまたまた感激。

 反面、あまりの強行日程に体調を崩す人が続出し、ぼくも最後の方では腹をやられて、持参したカロリーメイトなどでなんとか乗り切った。まさに体育会系ツアーだった。

 さいわいツアーの同行者に恵まれ、写真もお互い撮り合ったので自分が写っているものも多く、落ち着いたらアルバムにまとめたいなと思っている。

 現地のエジプト人ガイドさんによると、エジプト人のほとんどは自国の歴史に興味を持っていないという。たしかに、車中からではあるが見てきた人々の暮らしぶりは、かなり貧しい。農村部ではロバがふつうに使われているし、観光地でも子どもたちが物売りをしている。今を生きるのに精一杯なのだ。

 行きの飛行機の中で、アガサクリスティの「ナイルに死す」(映画名「ナイル殺人事件」)を読んだのだが、どうやらぼくにはエジプトを旅することはできても、暮らすことはできそうもない。一年ももたず、小説のタイトルどおりになってしまいそうだからだ。

 でも。しつこいほど書いていることだが、久里浜以降を「おまけ」の人生と考えるなら、なんとも素敵な「おまけ」の旅ではあった。あのスケジュールを乗り切る体力があったのも、酒をやめたからこそ。今はまだ疲れが残っているが、旅の余韻はこれからじっくり味わえるような気がする。

2009年10月27日 (火)

アクティブ期

 昨日は月一の久里浜通院日。担当Dr.

「調子はどうですか?」

 と訊かれ、ぼくは

「なんだか、アクティブ期に入っているみたいです」

 と答えた。

 おとといの日曜日は、5ヶ月前に行った福島県の只見が紅葉の見頃だというので、ふたたび車を走らせた。村おこしで「本と森の交換」をしており、前回は森林6坪分になった。今回はどのくらいになるだろう。

 古本屋を兼ねた喫茶店のマスターが、ぼくの赤いMINIクーパーを覚えていてくれた。先週は只見線にSLが乗り入れ賑わっていたという。地元の立ち寄り温泉を勧められたが、同行した友人が日本海を見たいと言い出したので、新潟へ大きく寄り道して帰ってきた。一日の走行距離886キロは自己最長だった。

 そして、今週末はいよいよエジプトへ。直行便で片道14時間。

 嬉しそうに話すぼくに、久里浜のDr.

「私も学生時代はインドネシアやネパールに一人旅しましたけど……次に一人旅できるのはいつになるかなあ」

 遠くを見るような目で、羨ましそうに言ったものだった。

 Dr.には旅先でお酒の誘惑に負けないように、と念を押された。さいわいイスラム圏は飲酒の習慣がないし、今回は飲み食いが目的ではないので、その点についてはさほど心配していない。

 むしろ、落ち込み気味だった状態から、いろいろなタイミングが重なってアクティブ期に突入した今の環境が、吉と出るか、どうか。

 人生も旅も、最後まで楽しみ、なおかつ寄り道も楽しめるようでありたい。ただ、それには柔軟な頭と、体力が必要だ。

 

今回の旅は周りに吹聴しているので、ケガや病気で頓挫させるのだけは避けたい。そこのところに気をつけて、楽しんでくるつもりだ。

 

2009年10月18日 (日)

終末思想

 勤続30年の休暇を使ってエジプトへ行くことになり、自分の30年という時間と、エジプトの古代文明3000年という時間について考えて驚いたことがある。

 端的に言ってしまえば、たった100倍でしかない、という驚きだ。

 厳密にはエジプト文明の起源はおそらく紀元前2~3000年まで遡れるし、中国でも4000年の歴史といわれるように、人類の文明は4~5000年ほど継続して今に至っているのだろう。でも桁はたいして違わない。

 手元で計算してみたら、30歳で子孫を残したとすると、ぼくの曾祖父がちょうど明治維新の生まれになる。四代前だと江戸時代。五十代前だと1500年前、法隆寺もまだ建っていない。六十七代前がキリスト様と同世代……。

 パソコンでメガ、ギガ、テラなどという単位に慣れていると、この100倍というのはとても短い気がしてくる。そして実際、宇宙とまでいわずとも、地球的な規模から見ても、今の人類の歴史というのがいかに薄く表層的なものであることか。 この先、数千年の単位で人類の文明が継続していく保証は何もない。

 個人的な感覚でいえば、数百年はもっても、数千年先の人類が生きながらえているか、ぼくは無理ではないかと思う。21世紀になって宗教戦争をしている。自分たちの中だけで通用するカネという仮想現実に翻弄されている。そのカネのために環境を破壊し、自分たちの心を壊し、それが進化だと信じている。なんだか、ダメな気がするのである。

 世界中の宗教に見られる終末思想というのは、人類が無意識のうちに感じ取っている、種としての寿命への怯えなのではないだろうか。

 逆をいえば、今この時代に陥っている混沌、カオスから抜け出たとき、人類は次のステップに立つ資格を得るのかもしれない。

 30年間、蟻さんになって働き、虫の目線で悩んできたので、今日は鳥の目線で世の中を見てみました。エジプトを選んだ理由のひとつは、そんなところにありますです。

 

2009年10月12日 (月)

紅葉はおあずけ

 9月末の中間決算と、10月頭のイベントで、仕事的にはハードな2週間だった。

 エジプトへのツアーも3週間後に迫っていて、両替したり、世界史をにわか勉強したり、と忙しい。何故にエジプト?と聞かれるのだが、良くも悪くも今の世界に影響力を持つ1神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)の出発点がモーゼによる「出エジプト」にあるのだから、一度はこの目で見ておきたかったのだ。ところが、そこから更に派生して、クレオパトラ終焉の地・アレクサンドリアが日程に組まれていると、今度はカエサル(シーザー)との絡みで、ローマ史もかじってみたくなる。

 勉強が本分の学生時代に勉強しないで、脳の老化が始まった今頃になって勉強の面白さに気づく皮肉。本当に、何回本を読んだって、エジプトの地名とかファラオの名前とか覚えられん!!

 

 連休は宇都宮の姉の家に泊まってきた。家を新築(正確にはすぐ近くの新築物件に引越し)したので、様子見がてら。さすがに新しい家はいい。ただ、妙な行きがかりで購入費の幾ばくかを何故かぼくが負担することになって、複雑な心境でもあった。たしかにMINIクーパー買ったり、海外旅行したりと派手に見えるかもしれないが、それはあくまで自分の働きの中での贅沢。税制にしてもそうだが、どうも世間の目は、独身者にきついものがある。我ながらお人好しが治らんな。

 断酒がらみの話では、姉の友人の旦那さんが、やはりアルコール依存症で入院したと聞いた。姉は、うちの弟もそうだったけれど治ったから大丈夫、と励ましたという。そうした事例としてぼくを使ってもらえるのは嬉しいが、2年後断酒継続率2割以下という現実もある。目の前でミネラルウォーターを飲んでいるその弟が、どんな経緯でここに至っているか、たぶん姉にはわかっていない気もした。それほど簡単なことではない、のだけどね。

 さて、この時期姉のところに泊まると、早朝に出て日光の紅葉を楽しんでいる。今回もまだ薄暗い5時に一人出発し、たいした渋滞にもあわず「いろは坂」を登って中禅寺湖畔で持参したバナナの朝食。まだ紅葉はまばら。竜頭の滝では雨になり、紅葉にはちょっと早かったという印象だった。

 2週間後、奥只見に行く予定もあって、そちらは見ごろを過ぎている可能性もある。連休最終日の今日は布団など入れ替えようとしたが、室内の温度計は25度を超えていて、冬支度にはまだ早すぎる。

 四季のある国のうつろいを、ゆるりと楽しみますか。

 

2009年9月25日 (金)

30年勤続だって

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 永年勤続者表彰、というのを受けてしまった。30年だって。学校出て、今の会社に就職して、30年が経ったのだそうだ。

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 われながら、よくぞもったなあ、と思う。傍から見れば平々凡々な会社員人生でも、当人にとっては山あり谷あり。 実際辞める寸前までいったこともあったし。

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 何ごとも、続けるというのは大変なことだ。仕事然り、断酒然り。ぼくには分からないが結婚だってたぶん然り、なのだろう。山超え谷超えここまで来て、さらに先へと進んでいく。人の数だけドラマあり、だ。

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 ぼくの勤める会社は、かなり保守的な社風。それが短所であり、ときには長所にもなる。今回の30年勤続では表彰状だけでなく、褒賞金と褒賞休暇をもらえる。これなどは古き良き時代の、家族的会社経営の名残りだろう。(10年くらい前までは年の暮れに「新巻鮭」が会社から1本届いていた)。

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 先輩諸兄に聞くと、褒賞休暇を丸々使う社員は稀だということだが、ぼくはすぐに「エジプト世界遺産の旅」8日間コースを申し込んだ。そう、保守的な社風では、一週間以上の休みなどめったにとれない。どうせなら遥か遠く、そして遥かな古(いにしえ)に行ってみたい。

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 たまたま知ったのだが、ピラミッドのことを中国語では「金字塔」という。ぼくの場合は銅字塔、いや鉄字塔くらいだけど、30年目の記念にはふさわしいかもしれない。いや、やっぱりおこがましいかな。

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おまけの人生に、思いがけずおまけのご褒美がついてきた。出発まであと一ヶ月、ちょっと気合いを入れて働きますか。

 

2009年9月13日 (日)

4年目の断酒記念日

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 本日、9月13日はぼくの4年目の断酒記念日。

 2005年9月、ぼくは鬱病で入院していた順天堂病院でアルコール依存症であることを告知され、数日考えた結果、断酒を決意した。自分の中で決めただけでは味気ないので、その日の夜、当直で回ってきたお気に入りの看護婦さんに断酒を宣言し、あつかましくも指切りをさせてもらった。あれからちょうど4年が経った。

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 さいわい、今のところ断酒は継続できている。

 よく、意志が強いですねといわれるが、それだけではない気がする。

 ぼくの場合、鬱とアルコール依存症が相乗作用で心と身体を破壊していた。あのときの苦しさに戻りたくないという、強烈な思いが断酒を下支えしている。

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 幸運もあった。

 順天堂病院で担当になったDr.が久里浜アルコール症センターで研修したことがあり、ぼくの鬱はアルコールに関係していることを早期に見抜き、同病院に紹介状を書いてくれたこと。

 そして久里浜の環境と教育がぼくを再生させてくれたこと。退院したら会社をすぐにやめると騒いでいたぼくを、3ヶ月かけて冷静にさせてくれたりもした。

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1,2年目は社会復帰の傍ら、自宅のリフォームをした。 3年目は職場の移転など仕事に忙殺された。 4年目はMINIクーパーを購入、遅ればせながら独身ライフを楽しむ。また、このブログを見た読売新聞記者の取材を受け、その記事が載った「私のうつノート」(中央公論新社)が出版され、おかげさまでブログの閲覧件数が増えたりした。明日からの5年目は、どんな1年になるのだろうか。楽しみでもあり、悩みでもある。

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 もし何かの縁で、同じ鬱や断酒に苦しむ人がこれを読んでいてくださるのなら。

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 断酒については、まず専門機関で治療を受け、そこで教わったことを自己流に解釈しないで愚直に実践すること。

 鬱病については、再発に備えてかかりつけのDr.を作り、定期的に受診すること、をお勧めしたい。

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 正直、酒を一滴も飲めないのはとても寂しい。でも、何かを得るためには何かを捨てなければならない。あの鬱々とした日々との引き換えなら、ぼくは残りの人生分の酒を喜んで差し出す。

 もしも、と考えることがある。もしもあの夏入院していなかったら、ガンマ3000を超え、精神的にも追い詰められていたぼくにとって、9月13日は命日になっていたかもしれない。ならば、断酒記念日以降の日々はすべてなかったかもしれない時間だ。余命ではなく与命、与えられた命の時間。大切に味わって生きなければと、思いを新たにする。

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 もう4年。まだ4年。

 秋の日曜日、のどかに過ごせることに感謝。

 

2009年9月10日 (木)

触法病棟

 ある種の精神病院には、俗称「触法病棟」と呼ばれる治療施設が設けられている。裁判で精神鑑定の上治療の必要ありとされた人や、非合法的な薬物などで治療が必要な人たちのための病棟らしい。法に触れた人たちを扱うから触法病棟。なんだか小説かドラマのタイトルに使えそうな名称だ。関係者からこの名称を聞いて、いまだに忘れられないでいる。

 でも、触法とは何だろう。

 ある本でフロイトとコカインの関係を知った。もともとフロイトは臨床医師だった。フロイトはコカの葉から取れるコカインを、目の治療用の麻酔薬として使い始める。と同時にコカインの精神を高揚させる作用に注目し、自らもコカインを常用。多くの人にも勧めた。やがてコカインの中毒性が問題になり、フロイトは医師としての責任を感じ、精神科の学者へと方向転換していく。

どうやらコカインは当時の流行だったようで、「シャーロック・ホームズ」の著者コナン・ドイルも常用者だった。たしか、ホームズがコカインをたしなんでいる場面が小説に書かれているはずだ。 有名な話だが、コカ・コーラも最初期はコカを原料にしていたが、政府の指導で成分を変更した。その名残りが商標として今も残っている。

あるいは、終戦直後の日本ではヒロポンという薬が流行し、坂口安吾や太宰治も愛用したらしい。このヒロポンの成分は、今で言うところの覚醒剤と一緒だ。覚醒剤が商品として売られていた時期があったのだ。 法に触れるか触れないかは、時代とともに変化していく。

さて、我がいとしき敵(かたき)役の酒はどうなのだろう。タバコとともに政府の大事な税収源だし、法で全面的に禁止されることは今後もない……だろう。ただ、すでに行なわれている飲酒運転の厳罰化のように、未成年の飲酒や幇助、成年者でも飲酒による過失や犯罪への処罰はこれから厳しくなっていくはずだ。

 

飲酒自体が触法行為にならないように、お酒を飲める皆さんはくれぐれもご自戒あれ。ぼくは終身禁固刑が確定し、お役には立てませんが。

2009年9月 3日 (木)

「擬態うつ病」とメンヘラ

 うつ病に関する本が出ると気になる。芸能人のうつ病体験談が続けて出版されたこともあった。先日ある大型書店に行ったら、うつ病関係の本だけで棚が一本埋まっていた。

 そんな中で、最近出版された「それはうつ病ではありません」(林公一著・宝島新書)をざっとだが読んでみた。著者は2001年に「擬態うつ病」という本を出していて、その時は時期尚早だったが、今なら世の中に受け入れられるのではないかと書いている。

 著者は、うつ病を自称する人たちの中には医学的にうつ病と認められない人がいて、それが逆に周りの人の迷惑になっている問題をとりあげる。くわしくは本書に譲るが、ある人はそうした偽病による被害を「メンヘラ」、つまりメンタルヘルス・ハラスメントと呼んでいるという。

 指摘はかなり手厳しい。たとえば、本当のうつ病ならブログで「今わたしはうつ病です」と書き続ける意欲など出るはずがない、と。ちょっと耳が痛い。 でも、仕事を休職して街で元気に遊んでいる人の例など出されると、それはないよなあと頷いたりする。昔はうつ病を隠したものだが、「うつ病は心の風邪」と言われるようになって公言する人が増えたのは事実だし、病気を言い訳に使っている人が皆無とはいえないだろう。微妙で難しい問題だと思う。

 実はぼくも、一度目の入院の後、復帰した職場で直接の上司から同様の目で見られたことがある。 12年間頑張った子会社から本社に異動、そこでいろいろあってうつ病と診断され一ヶ月入院。人事は同じ職場での復帰は無理とみて、別の子会社に出向させた。ここは前の子会社とは違い仕事量が少なく時間をもてあますほどだった。そこでの仕事に対する姿勢や、月一回通院のため遅刻することなどが上司の気にさわったらしく、「病気は自分で治すんだよ」「いつまでも薬に頼るな」と面と向かって言われた。

 小さな職場で、この環境はきつかった。1年半後この子会社は解散することになり、ぼくは今の職場に異動になったのだが、そのころには心身ともボロボロになっていて、退職を願い出た。その時の責任者がとにかく入院しろとアドバイスしてくれ、久里浜送りになり、復活できて今に至っている

 あの上司にとって、ぼくはメンヘラの加害者と見えたのだろう。そして実際、当時は一応治って退院していて、うつ病患者ではなく元うつ病患者だったから、上司の苛立ちや不満も理解できないではない。 落ちるところまで堕ちなければ断酒できなかっただろうし、その意味では恨んでいない(ことにしておく)。

 でも、医学的にはうつ病ではなかった時期かもしれないが、当人にとってはきつくつらい時間だった。白か黒かではなく、灰色のゾーンというのもあるのではないだろうか。「擬態うつ病」という言葉で片付けられない、本人にも医師にもわからない領域というものが……。

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 ぼくは薬効の甲斐あってか、先週の診察で抗鬱剤アナフラニールが25mgから10mgに減らされた。次回の状況次第では薬をやめられるかもしれない。前駆症状のうちに対処すれば、未病のうちに回復することも可能なのだ。そのあたりのことは、ぜひ理解してほしいと願うのである。

 

2009年8月21日 (金)

鬱と無意識さん

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 このブログで心の不調を書いたら、何人かの友人から「大丈夫か?」と電話をもらった。ありがたいことだ。 そのなかで会社の友人は昨年、ぼくと同じように鬱病にかかっていて、逆にこちらが「そっちはどうなの?」と聞き返したら、回復直後に比べて調子は良くないという。通院することを勧め、同病相哀れむ形になってしまった(心を病む人が多い会社なのだ。トホホ……)。

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 個人差はあるだろうが、鬱病は再発の可能性が高い。

 少なくとも、はしかやオタフク風邪のように一度発病すれば免疫ができるという病気ではない。完治するというより、寛解(緩解)という言葉がふさわしいようだ。治っても、それが一時的なのか永久的なのか分からない。

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 さて、ぼくの現状はと言うと。抗鬱剤を服用したおかげか、発病にまでは至っていない。その手前の前駆症状が自覚される程度。これならとりあえず日常生活に支障はない。ただ、休日に遠出するとか、長い小説を読もうという気力はまだ湧いてこない。心が夏バテしている、という言い方が一番近いかもしれない。

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 なぜ心が夏バテしたか。これはですねえ、半分はわかっている。ズバリ、カネとオンナの問題(嘘、嘘!!)。 とにかく、よくある世俗的な揉め事が6月に重なって、それが未解決のまま煩悩の鐘を鳴らし続けている。めげた。

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 もう半分は、自分でもわからない。無意識レベルのうつうつとした感覚。「漠然とした不安」と言い残して自殺したのは芥川龍之介でしたっけ? 同じように、無意識レベルで落ち込んでしまうことが、ぼくには周期的にある。これがくせもの。若い頃からのものだから、男の更年期障害とかではないと思うのだが。

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 このふたつが重なると負のスパイラルで鬱発病率が高まる。以前入院したときは、ここにアルコールの害が加わってトリプルパンチ、最悪だった。

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 さて、現状をどう乗り切るか。まず、無意識さんのほうをうまく説得してご機嫌を直してもらう。そうすると、世俗的な揉め事を解決しようという意欲が湧いてくる。揉め事がなくなれば無意識さんのほうでも喜ぶ。かくして上昇スパイラルに乗ることができる。

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 経験則ではそういうことなのだが、相手が無意識さんですからねえ。どうなりますことやら。

 

2009年8月13日 (木)

依存症……倚りかからず

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 芸能ネタが続くが、酒井法子の覚醒剤事件には驚いた。格別ファンではないが、「可愛い顔してあの娘 わりとやるもんだね」(by あみん……古いな)とは思った。社会的影響を考えれば、当事者の責任は重い。

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 そのあたりは様々な意見があふれているだろうから、ここでは依存症という観点から語ってみたい。

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 もちろんぼくは麻薬も覚醒剤も未経験だ。体験しているのはアルコールの「依存症」という一点だけだが、そこから言えるのは、依存症というのは病気であり、自分の意志で治すのは、ほぼ無理だということ。むろん「愛」でも「病気」は治らない。キリストでもない限り。

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 依存症になった人間は、自分が依存症であることがわからない。あるいは、わかろうとしない。わかりたくない。自分の意志で4、5日やめることができれば、自分は依存症なんかではないと胸を張る。そしてやめていられる期間が次第に短くなり、やがて連続使用に走る。

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 依存症になる物質は、それを摂取している間は肉体にも精神にも気持ちよい。アルコールなら日々の憂さを忘れさせてくれる。聞くところによると覚醒剤はハイテンションになり万能感が得られる。麻薬はその種類によりアッパー系、ダウナー系などあるようだが、同じことだろう。それだけで済めば問題はない。

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 問題はその後に起こる禁断症状だ。その物質が脳に起こしたのと正反対の状況が生じる。憂さを忘れた反動で自己嫌悪に陥る。無理して上げたテンションが反動で極端に下がる。肉体も火事場の馬鹿力を出した後のように虚脱状態になる。そこから抜ける一番の近道は、その物質を再度摂取すること。かくして無間地獄のループが続いていく。

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 論理的に書いているが、自分がその渦中にいる時は、ほんとうに絶望的な気持ちだった。俺、もしかして酒がやめられないんじゃないか。気づいたときには立派なアルコール依存症患者が一人できあがっていた。入院し、アル中だと診断され、どん底まで堕ちたと思った。沼の底まで落ちて、こつんと音がした。それからやっと浮上の糸口が見つかった。

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 今のぼくは、アルコールに関する脳のブレーキが壊れたままの状態だ。一回でも走れば止まらなくなる。このブレーキの故障を治す薬が発明されないかと夢見ることもあるが、今のところは断酒しか手立てがない。 酒井法子も、その旦那も、罪は罪として、それとは別に一生背負っていかなければならないものがある。それは覚醒剤による脳の損傷であり、依存症という病なのだ。

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 依存症は薬や酒だけに限らない。会社や人間関係、買い物や過食。つくづく生きにくい時代だが、人は自分が生きる時代を選べない。

「倚りかからず」とは詩人・茨木のり子の詩の言葉だが、ぼくはこの言葉の響きも、漢字の使い方も好きだ。依存せず、倚りかからず。 かくありたいと思う。

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