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2009年7月18日 (土)

ホタル

 ホタルを見た。

 とは言っても、都心の某有名ホテル主催、バイキング夕食込みの「ホタル庭園鑑賞コース」で、だが。

 梅雨明け前で、ちょっと湿気の多い曇りの夜。帰りのタクシーの運ちゃんによると、ホタルが飛ぶには一番いい条件だったそうだ。暑すぎても雨でもホタルは葉の裏に隠れてしまい、せっかくお金を払ってもほとんど見られない夜もあるという。

 敬愛する養老孟司氏は、科学が万能なら虫の一匹でも作ってみろ、とよく言っている。ましてや光る虫である。存在自体が神秘だなあ、とつくづく思った。

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 実はこのところ、ちょっと鬱傾向だ。 前回の鬱発病は主に仕事が原因だったが、今回は別の揉め事が発生源。 こういうことがあると、やはり自分は鬱気質だと認めざるを得ない。おそらく人によっては悩みもしないことに悩む。損な性格だ。

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 ただ前回と違うところは、酒に逃げていないこと。ストレスで飲酒欲求がでてくるかと心配したが、そこは押さえ込んでいる。

 最大の神秘は自分という存在である。これは、やはり敬愛する故池田晶子さんの言葉。ホタルより神秘的なのは自分、か。納得。

本当に、自分がこれからどう変わっていくのか、自分でもわからない。わからないが、同じ過ちは繰り返すまい、とは思っている。たぶん、いやきっと、今回は大丈夫だ。断酒経験はぼくに、少しの勇気を与えてくれたらしい。

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2009年7月15日 (水)

お盆と瞑想

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 今週の月曜日、13日はお盆の入り日で、鎌倉の菩提寺からご住職に来ていただき、お経をあげてもらった。東京の下町は7月お盆というところが多いのだ。

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 つい3週間ほど前、父母の法事をしたばかりで、我ながら冠婚葬祭(というか、ホトケ様関係)に関わる時間と費用などの多さにあきれる。とくに信心深いとも思わないのだが、父親から諸々のことを引き継いだら、いつの間にかこういう立場になっていた。

 家の仏壇の前で、あるいは両親の墓前で、折にふれ頭(こうべ)を垂れ、祈る。その時々の悩みや願い事が頭の中を去来する。それを整理し、自分が何を本当は悩んでいるのか、何を願っているのかイメージする。 簡単に言ってしまえば、これがぼくなりの瞑想法となっている。効果のほどはわからないが、仏教的空間と瞑想は、ぼくの中でとても相性がいいのは確かなのだ。

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 最初はぼくの断酒に怪訝そうだったご住職が、最近はアルコール依存症のことをよく理解され、「一口でも酒を飲むともどってしまうそうだね。あなたは意志が強い。立派だよ」と認めてくださっているのが嬉しい。 でもたぶん意志の強さというより、いかに継続できるようイメージトレーニングし続けるかに、断酒の鍵はあるのではないか。

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 心の力は強く且つ脆い。それをコントロールするのは難しいが、ひとりひとり、自分に合った方法がきっとある。瞑想はそのひとつなのかな、と思うお盆の夜なのでした。

 

2009年7月10日 (金)

健康診断・断酒前と後

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会社で年に一度の健康診断を受けた。

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 断酒以前の数年間、この健康診断はぼくにとって鬼門だった。肝機能を筆頭に、血圧、コレステロール値、尿酸値などいつも引っかかっていたからだ。

 一応検査日は会社から指定される。けれど、その日程通りに行ったことはまずなかった。禁酒日をできれば1週間、最低でも2日はとらないと、肝機能がとんでもない値、具体的にはガンマGTPで300を確実に超えることがわかっていたから。

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 肝臓の再生能力というのはたいしたもので、数日の禁酒でも数値はかなり下がる。でも、すでに連続飲酒の習慣が身についていたぼくにとって、たった2、3日でも酒を飲まないでいることは至難の業だった。検査予定日前日に酒を飲み自主延期、ということが続いた。

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 今は、自慢ではないが、健康診断いつでもいらっしゃい!! てなもんだ。人間、変われば変わるものである。

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 血圧も断酒以降は落ち着いているし、コレステロールなど成人病の要素も基準内におさまるようになった。逆を言えば、断酒前いかにボロボロだったか、ということでもあるのだが。

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 今もまわりには、かつての自分と同じように直前禁酒する同輩が多い。それじゃ健康診断の意味がない、と言いかけてやめる。余計なお世話だよね。ただ、ぼくのように、気がついたら一生酒を飲めない身になることもある。くれぐれもご自愛を。

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 なんだか健康オタクみたいな言い方になってきている自分がおかしい。いつかは必ず逝く身なのにネ。でも、一度失ったからこそわかることもある。「二つよきことさてないものよ」とは河合隼雄さんがよく使っていた言葉だが、健康と酒のどちらかを選べといわれたら、いまのぼくは健康だ。酒は捨てる。捨てて今を得ている。本音はもちろん、両方手にしたいところだけれど。

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2009年7月 2日 (木)

法事のあと

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 先日、父の七回忌と母の二十七回忌をあわせて行なった。

 本来なら父は今年の8月、母は来年の5月に行なうのが筋だが、真夏のお墓は暑いし、半年で2回も同じ方々にご足労頂くのもなんだしと、お寺さんに相談したら、涼しいうちに合同でやりましょうということに相成った次第。

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 父も母も4人兄弟で、身内だけといっても15名を超える法要となった。父の兄は88歳の米寿、兄弟のご子息、つまりぼくにとっての従兄弟たちもすでに還暦を越える人が増え、若輩者のぼくにとってはなにかと気を遣うことが多かった。

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 さらに今回は姉のところが手一杯で、食事やらお土産やらの手配も男一人でやらざるをえなかった。孤軍奮闘で、父母の思い出やその後の歳月を振り返るゆとりもないまま、今ようやく落ち着きを取り戻しつつある。

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「咳をしても ひとり」(山頭火)

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 係累というのを直系の1親等、つまり親、配偶者、子どもに限定するなら、今のぼくには係累がない。かろうじて血筋としては姉とその子ども、甥と姪がひとりずついるが、こちらは姓も違うし、お互い養育の義務を持たない。もしぼくに何かが起きたら多少の遺産が彼らに渡る程度の間柄だ。もちろん自分の老後を彼らに頼るつもりもない。

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 人はひとりでは生きていけないという。

 人は結局は一人なのだともいう。

 ぼくは、どちらも真実だと思う。どちらか一面だけで語れるほど単純ではない、というだけのことだ。

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 親の大きな区切りの法要を二つ済ませ、ぼくは自分だけのために生きていこうとあらためて思う。

 自分だけのために生きて、気がついたら誰かのために生きていた。そんなことを夢見たりする。

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 住職が「6年後は十三回忌と三十三回忌か」とおっしゃった。もとより、6年後の生死すら不明の浮世なれど、しなやかな係累を持つ身で迎えるのもいいか。もちろん断酒したままで。

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