法事のあと
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先日、父の七回忌と母の二十七回忌をあわせて行なった。
本来なら父は今年の8月、母は来年の5月に行なうのが筋だが、真夏のお墓は暑いし、半年で2回も同じ方々にご足労頂くのもなんだしと、お寺さんに相談したら、涼しいうちに合同でやりましょうということに相成った次第。
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父も母も4人兄弟で、身内だけといっても15名を超える法要となった。父の兄は88歳の米寿、兄弟のご子息、つまりぼくにとっての従兄弟たちもすでに還暦を越える人が増え、若輩者のぼくにとってはなにかと気を遣うことが多かった。
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さらに今回は姉のところが手一杯で、食事やらお土産やらの手配も男一人でやらざるをえなかった。孤軍奮闘で、父母の思い出やその後の歳月を振り返るゆとりもないまま、今ようやく落ち着きを取り戻しつつある。
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「咳をしても ひとり」(山頭火)
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係累というのを直系の1親等、つまり親、配偶者、子どもに限定するなら、今のぼくには係累がない。かろうじて血筋としては姉とその子ども、甥と姪がひとりずついるが、こちらは姓も違うし、お互い養育の義務を持たない。もしぼくに何かが起きたら多少の遺産が彼らに渡る程度の間柄だ。もちろん自分の老後を彼らに頼るつもりもない。
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人はひとりでは生きていけないという。
人は結局は一人なのだともいう。
ぼくは、どちらも真実だと思う。どちらか一面だけで語れるほど単純ではない、というだけのことだ。
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親の大きな区切りの法要を二つ済ませ、ぼくは自分だけのために生きていこうとあらためて思う。
自分だけのために生きて、気がついたら誰かのために生きていた。そんなことを夢見たりする。
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住職が「6年後は十三回忌と三十三回忌か」とおっしゃった。もとより、6年後の生死すら不明の浮世なれど、しなやかな係累を持つ身で迎えるのもいいか。もちろん断酒したままで。
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