鬱とは十年来のつきあいになる。
もともと気質としてあったのだと思う。母が亡くなる前の数年間しきりに不安感をうったえていたが、体質的には母親似なので、受け継いでいるのかもしれない。
三十代後半から漠然とした不安、気分の落ち込みを不定期で感じるようになり、高血圧の治療で通っていた職場の近くのクリニックに相談し、薬を処方してもらっていた。
薬は何種類か変えてもらったので全部は覚えていないが、比較的効果があったのがレキソタン。また、しょっちゅう二日酔いで食欲がなかったので、もとは胃腸薬として開発されたというドグマチールは重宝していた(胃薬にもなるので)。話題になっていたプロザックも個人輸入で入手したが、高いだけでぼくにはちっとも効かなかった。その後、専門の医師にかかるようになり、アナフラニールを処方されてずいぶんとつづけた。
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最初に鬱病で入院したのは五年ほど前。
いわゆる 「昇進うつ」 というやつだった。
それまで関連会社で比較的自由にやってきたのが、昇格して本社に戻るとすべてにおいて勝手が違い、急速に仕事に対する自信をなくしていった。自信がない上には部下だってついてこない。
ある朝、ぼくの上司の机に匿名の手紙が置かれていた。「無能な人間にはついていけない」というような内容だった。その後何日か、会社のビルから飛び降りたい衝動を覚えるようになり、怖くなって順天堂病院のメンタルヘルス科に駆け込んだ。
診断は 「緊急入院。明日から」 というものだった。
そのときは約一ヶ月の入院だったが、じゅうぶんに休んだと思った。あとからふりかえれば、一ヶ月では本当に休んだうちには入らないのだが……。今の日本のサラリーマンで、一ヶ月会社を休むということは、けっこう大きな意味を持つ。ぼくは降格になり、部署もかわった。(そのこと自体に不満はなかった。当然の処遇だったし、むしろほっとしたくらいだった。)
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退院して一年後に同居していた父親が急死した。
会社から帰ると、自宅の布団のなかで冷たくなっていた。若いころは反発していたが、最近は自分で言うのもなんだが、親孝行の息子だったのではないかと思う。覚悟ができていなかっただけに、ショックは大きかった。
今度は 「喪失うつ」 とでもいうことになるのだろうか。鬱がぶりかえし、ひとりぐらしになったこともあって、酒量が増えていった。
外来で通っていた順天堂の女医さんに、肝臓の値も悪くなっているからお酒をひかえて、と言われたが反発した。ろくにカウンセリングもしないで酒をやめろとしか言わないと逆ギレし、病院に申し出て担当を変えてもらった。自分で酒にブレーキがかけられなくなっていたし、忠告してくれる人をうとましく感じるようになっていた。酒量はますます増えていった。
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再入院するのにそれから時間はたいしてかからなかった。 入院時のガンマGTPは3000を超えていた。直前の検査では800くらいだった(それでもじゅうぶんに高すぎるが)のだから、急激に悪化したことになる。順天堂病院ではアルコールに対する専門的な治療ができないからといって久里浜アルコール症センターを紹介された。いろいろあって、断酒するために、転院を決意した。
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転院を待っていたある夜、外来で担当だったあの女医さんが当直で夜の回診に来た。ぼくは恥ずかしさでうつむいてしまったが、彼女はぼくの顔をのぞきこみ 「よかった、表情がゆたかになってきているね」 と言ってくれた。こんな不出来な患者のことでも覚えてくれていたんだと思うと、なんだか胸の奥がじわりと熱くなってきて困った。
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断酒をはじめたら鬱も軽減していき、今現在はかなり良好な状態だ。むしろかるい躁がはいってきているようで、なんだか元気がいい。いつかぶりかえさないかと、不安になるくらいだ。
鬱のあの苦しさから開放されるなら、酒とひきかえにしてもいい。
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