無料ブログはココログ

2009年11月11日 (水)

ナイルに死す?

 念願のエジプト旅行に行ってきた。

 感想。

 凄い!!

 そして

 疲れた……

 エジプトのツアーには大きく二つのタイプがあって、ひとつはナイル川を船でゆっくり旅するクルージングタイプ。もうひとつは、世界遺産の三分の二を占めるとも言われるエジプトの遺跡をとにかく欲張って回るというタイプ。ぼくは一人参加だし、何度も行ける所ではないだろうと、後者を選んだ。

 印象に残っているのは、一日300人限定といわれるクフ王の大ピラミッド内部へ入れたこと。以前から写真や映像で見ていた大回廊や玄室に直接触れることができて感激。それから、以前観光客がテロに巻き込まれた、砂漠を300キロ走破したところにあるアルシンベル神殿に行けたこと。武装警察の護衛がつかないと観光バスは走れないため、警察の都合に合わせてホテルを午前3時半に出発。そのおかげでバスの窓から、砂漠の夜明けを眺められるという嬉しい付録もついて、現地の雄大さにまたまた感激。

 反面、あまりの強行日程に体調を崩す人が続出し、ぼくも最後の方では腹をやられて、持参したカロリーメイトなどでなんとか乗り切った。まさに体育会系ツアーだった。

 さいわいツアーの同行者に恵まれ、写真もお互い撮り合ったので自分が写っているものも多く、落ち着いたらアルバムにまとめたいなと思っている。

 現地のエジプト人ガイドさんによると、エジプト人のほとんどは自国の歴史に興味を持っていないという。たしかに、車中からではあるが見てきた人々の暮らしぶりは、かなり貧しい。農村部ではロバがふつうに使われているし、観光地でも子どもたちが物売りをしている。今を生きるのに精一杯なのだ。

 行きの飛行機の中で、アガサクリスティの「ナイルに死す」(映画名「ナイル殺人事件」)を読んだのだが、どうやらぼくにはエジプトを旅することはできても、暮らすことはできそうもない。一年ももたず、小説のタイトルどおりになってしまいそうだからだ。

 でも。しつこいほど書いていることだが、久里浜以降を「おまけ」の人生と考えるなら、なんとも素敵な「おまけ」の旅ではあった。あのスケジュールを乗り切る体力があったのも、酒をやめたからこそ。今はまだ疲れが残っているが、旅の余韻はこれからじっくり味わえるような気がする。

2009年10月27日 (火)

アクティブ期

 昨日は月一の久里浜通院日。担当Dr.

「調子はどうですか?」

 と訊かれ、ぼくは

「なんだか、アクティブ期に入っているみたいです」

 と答えた。

 おとといの日曜日は、5ヶ月前に行った福島県の只見が紅葉の見頃だというので、ふたたび車を走らせた。村おこしで「本と森の交換」をしており、前回は森林6坪分になった。今回はどのくらいになるだろう。

 古本屋を兼ねた喫茶店のマスターが、ぼくの赤いMINIクーパーを覚えていてくれた。先週は只見線にSLが乗り入れ賑わっていたという。地元の立ち寄り温泉を勧められたが、同行した友人が日本海を見たいと言い出したので、新潟へ大きく寄り道して帰ってきた。一日の走行距離886キロは自己最長だった。

 そして、今週末はいよいよエジプトへ。直行便で片道14時間。

 嬉しそうに話すぼくに、久里浜のDr.

「私も学生時代はインドネシアやネパールに一人旅しましたけど……次に一人旅できるのはいつになるかなあ」

 遠くを見るような目で、羨ましそうに言ったものだった。

 Dr.には旅先でお酒の誘惑に負けないように、と念を押された。さいわいイスラム圏は飲酒の習慣がないし、今回は飲み食いが目的ではないので、その点についてはさほど心配していない。

 むしろ、落ち込み気味だった状態から、いろいろなタイミングが重なってアクティブ期に突入した今の環境が、吉と出るか、どうか。

 人生も旅も、最後まで楽しみ、なおかつ寄り道も楽しめるようでありたい。ただ、それには柔軟な頭と、体力が必要だ。

 

今回の旅は周りに吹聴しているので、ケガや病気で頓挫させるのだけは避けたい。そこのところに気をつけて、楽しんでくるつもりだ。

 

2009年10月18日 (日)

終末思想

 勤続30年の休暇を使ってエジプトへ行くことになり、自分の30年という時間と、エジプトの古代文明3000年という時間について考えて驚いたことがある。

 端的に言ってしまえば、たった100倍でしかない、という驚きだ。

 厳密にはエジプト文明の起源はおそらく紀元前2~3000年まで遡れるし、中国でも4000年の歴史といわれるように、人類の文明は4~5000年ほど継続して今に至っているのだろう。でも桁はたいして違わない。

 手元で計算してみたら、30歳で子孫を残したとすると、ぼくの曾祖父がちょうど明治維新の生まれになる。四代前だと江戸時代。五十代前だと1500年前、法隆寺もまだ建っていない。六十七代前がキリスト様と同世代……。

 パソコンでメガ、ギガ、テラなどという単位に慣れていると、この100倍というのはとても短い気がしてくる。そして実際、宇宙とまでいわずとも、地球的な規模から見ても、今の人類の歴史というのがいかに薄く表層的なものであることか。 この先、数千年の単位で人類の文明が継続していく保証は何もない。

 個人的な感覚でいえば、数百年はもっても、数千年先の人類が生きながらえているか、ぼくは無理ではないかと思う。21世紀になって宗教戦争をしている。自分たちの中だけで通用するカネという仮想現実に翻弄されている。そのカネのために環境を破壊し、自分たちの心を壊し、それが進化だと信じている。なんだか、ダメな気がするのである。

 世界中の宗教に見られる終末思想というのは、人類が無意識のうちに感じ取っている、種としての寿命への怯えなのではないだろうか。

 逆をいえば、今この時代に陥っている混沌、カオスから抜け出たとき、人類は次のステップに立つ資格を得るのかもしれない。

 30年間、蟻さんになって働き、虫の目線で悩んできたので、今日は鳥の目線で世の中を見てみました。エジプトを選んだ理由のひとつは、そんなところにありますです。

 

2009年10月12日 (月)

紅葉はおあずけ

 9月末の中間決算と、10月頭のイベントで、仕事的にはハードな2週間だった。

 エジプトへのツアーも3週間後に迫っていて、両替したり、世界史をにわか勉強したり、と忙しい。何故にエジプト?と聞かれるのだが、良くも悪くも今の世界に影響力を持つ1神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)の出発点がモーゼによる「出エジプト」にあるのだから、一度はこの目で見ておきたかったのだ。ところが、そこから更に派生して、クレオパトラ終焉の地・アレクサンドリアが日程に組まれていると、今度はカエサル(シーザー)との絡みで、ローマ史もかじってみたくなる。

 勉強が本分の学生時代に勉強しないで、脳の老化が始まった今頃になって勉強の面白さに気づく皮肉。本当に、何回本を読んだって、エジプトの地名とかファラオの名前とか覚えられん!!

 

 連休は宇都宮の姉の家に泊まってきた。家を新築(正確にはすぐ近くの新築物件に引越し)したので、様子見がてら。さすがに新しい家はいい。ただ、妙な行きがかりで購入費の幾ばくかを何故かぼくが負担することになって、複雑な心境でもあった。たしかにMINIクーパー買ったり、海外旅行したりと派手に見えるかもしれないが、それはあくまで自分の働きの中での贅沢。税制にしてもそうだが、どうも世間の目は、独身者にきついものがある。我ながらお人好しが治らんな。

 断酒がらみの話では、姉の友人の旦那さんが、やはりアルコール依存症で入院したと聞いた。姉は、うちの弟もそうだったけれど治ったから大丈夫、と励ましたという。そうした事例としてぼくを使ってもらえるのは嬉しいが、2年後断酒継続率2割以下という現実もある。目の前でミネラルウォーターを飲んでいるその弟が、どんな経緯でここに至っているか、たぶん姉にはわかっていない気もした。それほど簡単なことではない、のだけどね。

 さて、この時期姉のところに泊まると、早朝に出て日光の紅葉を楽しんでいる。今回もまだ薄暗い5時に一人出発し、たいした渋滞にもあわず「いろは坂」を登って中禅寺湖畔で持参したバナナの朝食。まだ紅葉はまばら。竜頭の滝では雨になり、紅葉にはちょっと早かったという印象だった。

 2週間後、奥只見に行く予定もあって、そちらは見ごろを過ぎている可能性もある。連休最終日の今日は布団など入れ替えようとしたが、室内の温度計は25度を超えていて、冬支度にはまだ早すぎる。

 四季のある国のうつろいを、ゆるりと楽しみますか。

 

2009年9月25日 (金)

30年勤続だって

.

 永年勤続者表彰、というのを受けてしまった。30年だって。学校出て、今の会社に就職して、30年が経ったのだそうだ。

.

 われながら、よくぞもったなあ、と思う。傍から見れば平々凡々な会社員人生でも、当人にとっては山あり谷あり。 実際辞める寸前までいったこともあったし。

. 

 何ごとも、続けるというのは大変なことだ。仕事然り、断酒然り。ぼくには分からないが結婚だってたぶん然り、なのだろう。山超え谷超えここまで来て、さらに先へと進んでいく。人の数だけドラマあり、だ。

.

 ぼくの勤める会社は、かなり保守的な社風。それが短所であり、ときには長所にもなる。今回の30年勤続では表彰状だけでなく、褒賞金と褒賞休暇をもらえる。これなどは古き良き時代の、家族的会社経営の名残りだろう。(10年くらい前までは年の暮れに「新巻鮭」が会社から1本届いていた)。

.

 先輩諸兄に聞くと、褒賞休暇を丸々使う社員は稀だということだが、ぼくはすぐに「エジプト世界遺産の旅」8日間コースを申し込んだ。そう、保守的な社風では、一週間以上の休みなどめったにとれない。どうせなら遥か遠く、そして遥かな古(いにしえ)に行ってみたい。

.

 たまたま知ったのだが、ピラミッドのことを中国語では「金字塔」という。ぼくの場合は銅字塔、いや鉄字塔くらいだけど、30年目の記念にはふさわしいかもしれない。いや、やっぱりおこがましいかな。

.

おまけの人生に、思いがけずおまけのご褒美がついてきた。出発まであと一ヶ月、ちょっと気合いを入れて働きますか。

 

2009年9月13日 (日)

4年目の断酒記念日

.

 本日、9月13日はぼくの4年目の断酒記念日。

 2005年9月、ぼくは鬱病で入院していた順天堂病院でアルコール依存症であることを告知され、数日考えた結果、断酒を決意した。自分の中で決めただけでは味気ないので、その日の夜、当直で回ってきたお気に入りの看護婦さんに断酒を宣言し、あつかましくも指切りをさせてもらった。あれからちょうど4年が経った。

.

 さいわい、今のところ断酒は継続できている。

 よく、意志が強いですねといわれるが、それだけではない気がする。

 ぼくの場合、鬱とアルコール依存症が相乗作用で心と身体を破壊していた。あのときの苦しさに戻りたくないという、強烈な思いが断酒を下支えしている。

.

 幸運もあった。

 順天堂病院で担当になったDr.が久里浜アルコール症センターで研修したことがあり、ぼくの鬱はアルコールに関係していることを早期に見抜き、同病院に紹介状を書いてくれたこと。

 そして久里浜の環境と教育がぼくを再生させてくれたこと。退院したら会社をすぐにやめると騒いでいたぼくを、3ヶ月かけて冷静にさせてくれたりもした。

.

1,2年目は社会復帰の傍ら、自宅のリフォームをした。 3年目は職場の移転など仕事に忙殺された。 4年目はMINIクーパーを購入、遅ればせながら独身ライフを楽しむ。また、このブログを見た読売新聞記者の取材を受け、その記事が載った「私のうつノート」(中央公論新社)が出版され、おかげさまでブログの閲覧件数が増えたりした。明日からの5年目は、どんな1年になるのだろうか。楽しみでもあり、悩みでもある。

.

 

 もし何かの縁で、同じ鬱や断酒に苦しむ人がこれを読んでいてくださるのなら。

.

 

 断酒については、まず専門機関で治療を受け、そこで教わったことを自己流に解釈しないで愚直に実践すること。

 鬱病については、再発に備えてかかりつけのDr.を作り、定期的に受診すること、をお勧めしたい。

.

 正直、酒を一滴も飲めないのはとても寂しい。でも、何かを得るためには何かを捨てなければならない。あの鬱々とした日々との引き換えなら、ぼくは残りの人生分の酒を喜んで差し出す。

 もしも、と考えることがある。もしもあの夏入院していなかったら、ガンマ3000を超え、精神的にも追い詰められていたぼくにとって、9月13日は命日になっていたかもしれない。ならば、断酒記念日以降の日々はすべてなかったかもしれない時間だ。余命ではなく与命、与えられた命の時間。大切に味わって生きなければと、思いを新たにする。

.

 もう4年。まだ4年。

 秋の日曜日、のどかに過ごせることに感謝。

 

2009年9月10日 (木)

触法病棟

 ある種の精神病院には、俗称「触法病棟」と呼ばれる治療施設が設けられている。裁判で精神鑑定の上治療の必要ありとされた人や、非合法的な薬物などで治療が必要な人たちのための病棟らしい。法に触れた人たちを扱うから触法病棟。なんだか小説かドラマのタイトルに使えそうな名称だ。関係者からこの名称を聞いて、いまだに忘れられないでいる。

 でも、触法とは何だろう。

 ある本でフロイトとコカインの関係を知った。もともとフロイトは臨床医師だった。フロイトはコカの葉から取れるコカインを、目の治療用の麻酔薬として使い始める。と同時にコカインの精神を高揚させる作用に注目し、自らもコカインを常用。多くの人にも勧めた。やがてコカインの中毒性が問題になり、フロイトは医師としての責任を感じ、精神科の学者へと方向転換していく。

どうやらコカインは当時の流行だったようで、「シャーロック・ホームズ」の著者コナン・ドイルも常用者だった。たしか、ホームズがコカインをたしなんでいる場面が小説に書かれているはずだ。 有名な話だが、コカ・コーラも最初期はコカを原料にしていたが、政府の指導で成分を変更した。その名残りが商標として今も残っている。

あるいは、終戦直後の日本ではヒロポンという薬が流行し、坂口安吾や太宰治も愛用したらしい。このヒロポンの成分は、今で言うところの覚醒剤と一緒だ。覚醒剤が商品として売られていた時期があったのだ。 法に触れるか触れないかは、時代とともに変化していく。

さて、我がいとしき敵(かたき)役の酒はどうなのだろう。タバコとともに政府の大事な税収源だし、法で全面的に禁止されることは今後もない……だろう。ただ、すでに行なわれている飲酒運転の厳罰化のように、未成年の飲酒や幇助、成年者でも飲酒による過失や犯罪への処罰はこれから厳しくなっていくはずだ。

 

飲酒自体が触法行為にならないように、お酒を飲める皆さんはくれぐれもご自戒あれ。ぼくは終身禁固刑が確定し、お役には立てませんが。

2009年9月 3日 (木)

「擬態うつ病」とメンヘラ

 うつ病に関する本が出ると気になる。芸能人のうつ病体験談が続けて出版されたこともあった。先日ある大型書店に行ったら、うつ病関係の本だけで棚が一本埋まっていた。

 そんな中で、最近出版された「それはうつ病ではありません」(林公一著・宝島新書)をざっとだが読んでみた。著者は2001年に「擬態うつ病」という本を出していて、その時は時期尚早だったが、今なら世の中に受け入れられるのではないかと書いている。

 著者は、うつ病を自称する人たちの中には医学的にうつ病と認められない人がいて、それが逆に周りの人の迷惑になっている問題をとりあげる。くわしくは本書に譲るが、ある人はそうした偽病による被害を「メンヘラ」、つまりメンタルヘルス・ハラスメントと呼んでいるという。

 指摘はかなり手厳しい。たとえば、本当のうつ病ならブログで「今わたしはうつ病です」と書き続ける意欲など出るはずがない、と。ちょっと耳が痛い。 でも、仕事を休職して街で元気に遊んでいる人の例など出されると、それはないよなあと頷いたりする。昔はうつ病を隠したものだが、「うつ病は心の風邪」と言われるようになって公言する人が増えたのは事実だし、病気を言い訳に使っている人が皆無とはいえないだろう。微妙で難しい問題だと思う。

 実はぼくも、一度目の入院の後、復帰した職場で直接の上司から同様の目で見られたことがある。 12年間頑張った子会社から本社に異動、そこでいろいろあってうつ病と診断され一ヶ月入院。人事は同じ職場での復帰は無理とみて、別の子会社に出向させた。ここは前の子会社とは違い仕事量が少なく時間をもてあますほどだった。そこでの仕事に対する姿勢や、月一回通院のため遅刻することなどが上司の気にさわったらしく、「病気は自分で治すんだよ」「いつまでも薬に頼るな」と面と向かって言われた。

 小さな職場で、この環境はきつかった。1年半後この子会社は解散することになり、ぼくは今の職場に異動になったのだが、そのころには心身ともボロボロになっていて、退職を願い出た。その時の責任者がとにかく入院しろとアドバイスしてくれ、久里浜送りになり、復活できて今に至っている

 あの上司にとって、ぼくはメンヘラの加害者と見えたのだろう。そして実際、当時は一応治って退院していて、うつ病患者ではなく元うつ病患者だったから、上司の苛立ちや不満も理解できないではない。 落ちるところまで堕ちなければ断酒できなかっただろうし、その意味では恨んでいない(ことにしておく)。

 でも、医学的にはうつ病ではなかった時期かもしれないが、当人にとってはきつくつらい時間だった。白か黒かではなく、灰色のゾーンというのもあるのではないだろうか。「擬態うつ病」という言葉で片付けられない、本人にも医師にもわからない領域というものが……。

.

 ぼくは薬効の甲斐あってか、先週の診察で抗鬱剤アナフラニールが25mgから10mgに減らされた。次回の状況次第では薬をやめられるかもしれない。前駆症状のうちに対処すれば、未病のうちに回復することも可能なのだ。そのあたりのことは、ぜひ理解してほしいと願うのである。

 

2009年8月21日 (金)

鬱と無意識さん

.

 このブログで心の不調を書いたら、何人かの友人から「大丈夫か?」と電話をもらった。ありがたいことだ。 そのなかで会社の友人は昨年、ぼくと同じように鬱病にかかっていて、逆にこちらが「そっちはどうなの?」と聞き返したら、回復直後に比べて調子は良くないという。通院することを勧め、同病相哀れむ形になってしまった(心を病む人が多い会社なのだ。トホホ……)。

.

 個人差はあるだろうが、鬱病は再発の可能性が高い。

 少なくとも、はしかやオタフク風邪のように一度発病すれば免疫ができるという病気ではない。完治するというより、寛解(緩解)という言葉がふさわしいようだ。治っても、それが一時的なのか永久的なのか分からない。

.

 さて、ぼくの現状はと言うと。抗鬱剤を服用したおかげか、発病にまでは至っていない。その手前の前駆症状が自覚される程度。これならとりあえず日常生活に支障はない。ただ、休日に遠出するとか、長い小説を読もうという気力はまだ湧いてこない。心が夏バテしている、という言い方が一番近いかもしれない。

.

 なぜ心が夏バテしたか。これはですねえ、半分はわかっている。ズバリ、カネとオンナの問題(嘘、嘘!!)。 とにかく、よくある世俗的な揉め事が6月に重なって、それが未解決のまま煩悩の鐘を鳴らし続けている。めげた。

.

 もう半分は、自分でもわからない。無意識レベルのうつうつとした感覚。「漠然とした不安」と言い残して自殺したのは芥川龍之介でしたっけ? 同じように、無意識レベルで落ち込んでしまうことが、ぼくには周期的にある。これがくせもの。若い頃からのものだから、男の更年期障害とかではないと思うのだが。

.

 このふたつが重なると負のスパイラルで鬱発病率が高まる。以前入院したときは、ここにアルコールの害が加わってトリプルパンチ、最悪だった。

.

 さて、現状をどう乗り切るか。まず、無意識さんのほうをうまく説得してご機嫌を直してもらう。そうすると、世俗的な揉め事を解決しようという意欲が湧いてくる。揉め事がなくなれば無意識さんのほうでも喜ぶ。かくして上昇スパイラルに乗ることができる。

.

 経験則ではそういうことなのだが、相手が無意識さんですからねえ。どうなりますことやら。

 

2009年8月13日 (木)

依存症……倚りかからず

.

 芸能ネタが続くが、酒井法子の覚醒剤事件には驚いた。格別ファンではないが、「可愛い顔してあの娘 わりとやるもんだね」(by あみん……古いな)とは思った。社会的影響を考えれば、当事者の責任は重い。

.

 そのあたりは様々な意見があふれているだろうから、ここでは依存症という観点から語ってみたい。

.

 もちろんぼくは麻薬も覚醒剤も未経験だ。体験しているのはアルコールの「依存症」という一点だけだが、そこから言えるのは、依存症というのは病気であり、自分の意志で治すのは、ほぼ無理だということ。むろん「愛」でも「病気」は治らない。キリストでもない限り。

.

 依存症になった人間は、自分が依存症であることがわからない。あるいは、わかろうとしない。わかりたくない。自分の意志で4、5日やめることができれば、自分は依存症なんかではないと胸を張る。そしてやめていられる期間が次第に短くなり、やがて連続使用に走る。

.

 依存症になる物質は、それを摂取している間は肉体にも精神にも気持ちよい。アルコールなら日々の憂さを忘れさせてくれる。聞くところによると覚醒剤はハイテンションになり万能感が得られる。麻薬はその種類によりアッパー系、ダウナー系などあるようだが、同じことだろう。それだけで済めば問題はない。

.

 問題はその後に起こる禁断症状だ。その物質が脳に起こしたのと正反対の状況が生じる。憂さを忘れた反動で自己嫌悪に陥る。無理して上げたテンションが反動で極端に下がる。肉体も火事場の馬鹿力を出した後のように虚脱状態になる。そこから抜ける一番の近道は、その物質を再度摂取すること。かくして無間地獄のループが続いていく。

.

 論理的に書いているが、自分がその渦中にいる時は、ほんとうに絶望的な気持ちだった。俺、もしかして酒がやめられないんじゃないか。気づいたときには立派なアルコール依存症患者が一人できあがっていた。入院し、アル中だと診断され、どん底まで堕ちたと思った。沼の底まで落ちて、こつんと音がした。それからやっと浮上の糸口が見つかった。

.

 今のぼくは、アルコールに関する脳のブレーキが壊れたままの状態だ。一回でも走れば止まらなくなる。このブレーキの故障を治す薬が発明されないかと夢見ることもあるが、今のところは断酒しか手立てがない。 酒井法子も、その旦那も、罪は罪として、それとは別に一生背負っていかなければならないものがある。それは覚醒剤による脳の損傷であり、依存症という病なのだ。

.

 依存症は薬や酒だけに限らない。会社や人間関係、買い物や過食。つくづく生きにくい時代だが、人は自分が生きる時代を選べない。

「倚りかからず」とは詩人・茨木のり子の詩の言葉だが、ぼくはこの言葉の響きも、漢字の使い方も好きだ。依存せず、倚りかからず。 かくありたいと思う。

.

 

2009年8月 7日 (金)

マドンナの遺言

 女優の大原麗子さん(62歳)、孤独死。死後2週間。

.

 朝テレビをつけたら、わがマドンナの死が報じられていた。

 会社に行って若者(?)たちに聞いたが、大原麗子という女優そのものを知っている人が少ないのにまたびっくり。10年前にギランバレー症候群という難病にかかり、マスコミへの登場がなくなっていたから、当然なのかもしれない。時代は移る。諸行無常。

.

 渡瀬恒彦、森新一との結婚歴あり。その方が今の人にはわかりやすいか。

 寅さんシリーズのマドンナ役で2回起用されている。大河ドラマの主演もやった。

.

 ぼくは中学生の頃見たテレビドラマ「雑居時代」で、石立鉄夫とラブコメディを演じていたのが好きでファンになった。きれいで、ちょっとおきゃんで、声はハスキーで。代表作ともいえるサントリーのCMの女性像がよく似合う人だった。

.

 大原麗子を知る年配の人たちの感想は「さみしい死に方だね」。  ぼくはそうは思わない。もちろん愛する人に看取られるのが最高だろうが、孤独死だったからといって、その人の人生まで哀れんでほしくはない。現に女優・大原麗子はフィルムの中で、また熱心なファンによってYoutubeなどで編集され、今も微笑みかけてくれているのだから。

.

 ふだん買わないスポーツ新聞を買った。サンケイスポーツ紙の若い記者が去年の11月に大原麗子を取材していて、ギランバレー症候群について聞いたときの大原の言葉が印象的だった。

「本当は歩くのもやっとなの。でもね、それを公にすると、同じく闘病生活を送る人が不安になるでしょ。ペンの力って、すごく大きいものなのよ。お願いだから、いい記事を書いてね」

 ぼくもこれからアルコール依存症や鬱病について語り、書くとき、わがマドンナ・大原麗子のこの言葉を大事にしていこう。ミーハーと言われようとも。

.

.

.

.

2009年8月 2日 (日)

抗鬱剤の作用と反作用

.

 早めの夏休みをとって、四国を車で回ってきた。往復2000キロ超のロングドライブで気分転換を図ったのだが、旅先から帰ってきても、軽い鬱状態は続いていた。

 ちょうど久里浜アルコール症センターへの通院があったので、担当Dr.に今の自分の精神状況と、その原因であろうと思われるごくプライベートなことまで話してみた。Dr.は、そんな事態になれば誰でも落ち込むだろうし、簡単に片付く問題でもない、鬱状態から本当の鬱病になる前に、抗鬱剤を服用した方がいいでしょう、とアドバイスしてくれた。

 できれば薬に頼りたくなかったが、心は今年の夏のように「戻り梅雨」の様相を呈していて、自分の気持ちの持ちようだけで解決できる自信がなくなっていた。何年ぶりかで抗鬱剤を処方してもらうことにした。アナフラニー25㎎1日1錠。抗鬱剤にはいろいろな種類があり、効き方や副作用にも個人差があったりする。Dr.はその辺も考慮して、以前ぼくが服用していたものの中から選んでくれた。

 服用して4日ほど経つが、それなりに効果が出ている感じがする。プラシーボ効果、いわゆる心理的な暗示もあるのだろうが、断酒してから、自分の身体や心の変化に敏感になっていることもある。以前は抗鬱剤を服用してから痛飲し、翌日は二日酔い状態。薬が効いているという実感を持ったことがなかった。今回はダイレクトに薬が身体に滲み込んでくる。不安が波立たず、心が凪いでいるような。

 そのかわり、喉がやたらと渇く。この薬の典型的な副作用だそうで、暑い時期にはちとつらい。あと、仕事中眠くなったりするが、これはいつものことで、副作用かどうか定かではない。

 断酒して人生をやり直しているぼくだが、見方を変えれば、普通の人の生活にやっと追いついただけとも言える。フツーの人にフツーに訪れる人生の落とし穴や、年齢によるおとろえや病気などから免れたわけではない。生きていくってことは、映画の中の「フーテンの寅さん」のように気楽にはいかない、ということだ。残念ながら。

 老婆心ながらつけ加えると、抗鬱剤を処方されるほど心が疲れているなら、飲酒はなるべく控えた方がいい。酒で憂さを晴らしたいのは痛いほどわかる。でも、抗鬱剤とアルコールはマイナスの相乗効果を生む。経験者がここにいるのだから、これほどたしかなことはない。

2009年7月18日 (土)

ホタル

 ホタルを見た。

 とは言っても、都心の某有名ホテル主催、バイキング夕食込みの「ホタル庭園鑑賞コース」で、だが。

 梅雨明け前で、ちょっと湿気の多い曇りの夜。帰りのタクシーの運ちゃんによると、ホタルが飛ぶには一番いい条件だったそうだ。暑すぎても雨でもホタルは葉の裏に隠れてしまい、せっかくお金を払ってもほとんど見られない夜もあるという。

 敬愛する養老孟司氏は、科学が万能なら虫の一匹でも作ってみろ、とよく言っている。ましてや光る虫である。存在自体が神秘だなあ、とつくづく思った。

.

 実はこのところ、ちょっと鬱傾向だ。 前回の鬱発病は主に仕事が原因だったが、今回は別の揉め事が発生源。 こういうことがあると、やはり自分は鬱気質だと認めざるを得ない。おそらく人によっては悩みもしないことに悩む。損な性格だ。

.

 ただ前回と違うところは、酒に逃げていないこと。ストレスで飲酒欲求がでてくるかと心配したが、そこは押さえ込んでいる。

 最大の神秘は自分という存在である。これは、やはり敬愛する故池田晶子さんの言葉。ホタルより神秘的なのは自分、か。納得。

本当に、自分がこれからどう変わっていくのか、自分でもわからない。わからないが、同じ過ちは繰り返すまい、とは思っている。たぶん、いやきっと、今回は大丈夫だ。断酒経験はぼくに、少しの勇気を与えてくれたらしい。

 .

.

.

.

.

2009年7月15日 (水)

お盆と瞑想

.

 今週の月曜日、13日はお盆の入り日で、鎌倉の菩提寺からご住職に来ていただき、お経をあげてもらった。東京の下町は7月お盆というところが多いのだ。

.

 つい3週間ほど前、父母の法事をしたばかりで、我ながら冠婚葬祭(というか、ホトケ様関係)に関わる時間と費用などの多さにあきれる。とくに信心深いとも思わないのだが、父親から諸々のことを引き継いだら、いつの間にかこういう立場になっていた。

 家の仏壇の前で、あるいは両親の墓前で、折にふれ頭(こうべ)を垂れ、祈る。その時々の悩みや願い事が頭の中を去来する。それを整理し、自分が何を本当は悩んでいるのか、何を願っているのかイメージする。 簡単に言ってしまえば、これがぼくなりの瞑想法となっている。効果のほどはわからないが、仏教的空間と瞑想は、ぼくの中でとても相性がいいのは確かなのだ。

.

 最初はぼくの断酒に怪訝そうだったご住職が、最近はアルコール依存症のことをよく理解され、「一口でも酒を飲むともどってしまうそうだね。あなたは意志が強い。立派だよ」と認めてくださっているのが嬉しい。 でもたぶん意志の強さというより、いかに継続できるようイメージトレーニングし続けるかに、断酒の鍵はあるのではないか。

.

 心の力は強く且つ脆い。それをコントロールするのは難しいが、ひとりひとり、自分に合った方法がきっとある。瞑想はそのひとつなのかな、と思うお盆の夜なのでした。

 

2009年7月10日 (金)

健康診断・断酒前と後

.

会社で年に一度の健康診断を受けた。

.

 断酒以前の数年間、この健康診断はぼくにとって鬼門だった。肝機能を筆頭に、血圧、コレステロール値、尿酸値などいつも引っかかっていたからだ。

 一応検査日は会社から指定される。けれど、その日程通りに行ったことはまずなかった。禁酒日をできれば1週間、最低でも2日はとらないと、肝機能がとんでもない値、具体的にはガンマGTPで300を確実に超えることがわかっていたから。

.

 肝臓の再生能力というのはたいしたもので、数日の禁酒でも数値はかなり下がる。でも、すでに連続飲酒の習慣が身についていたぼくにとって、たった2、3日でも酒を飲まないでいることは至難の業だった。検査予定日前日に酒を飲み自主延期、ということが続いた。

.

 今は、自慢ではないが、健康診断いつでもいらっしゃい!! てなもんだ。人間、変われば変わるものである。

.

 血圧も断酒以降は落ち着いているし、コレステロールなど成人病の要素も基準内におさまるようになった。逆を言えば、断酒前いかにボロボロだったか、ということでもあるのだが。

.

 今もまわりには、かつての自分と同じように直前禁酒する同輩が多い。それじゃ健康診断の意味がない、と言いかけてやめる。余計なお世話だよね。ただ、ぼくのように、気がついたら一生酒を飲めない身になることもある。くれぐれもご自愛を。

.

 なんだか健康オタクみたいな言い方になってきている自分がおかしい。いつかは必ず逝く身なのにネ。でも、一度失ったからこそわかることもある。「二つよきことさてないものよ」とは河合隼雄さんがよく使っていた言葉だが、健康と酒のどちらかを選べといわれたら、いまのぼくは健康だ。酒は捨てる。捨てて今を得ている。本音はもちろん、両方手にしたいところだけれど。

.

  

2009年7月 2日 (木)

法事のあと

.

 先日、父の七回忌と母の二十七回忌をあわせて行なった。

 本来なら父は今年の8月、母は来年の5月に行なうのが筋だが、真夏のお墓は暑いし、半年で2回も同じ方々にご足労頂くのもなんだしと、お寺さんに相談したら、涼しいうちに合同でやりましょうということに相成った次第。

.

 父も母も4人兄弟で、身内だけといっても15名を超える法要となった。父の兄は88歳の米寿、兄弟のご子息、つまりぼくにとっての従兄弟たちもすでに還暦を越える人が増え、若輩者のぼくにとってはなにかと気を遣うことが多かった。

.

 さらに今回は姉のところが手一杯で、食事やらお土産やらの手配も男一人でやらざるをえなかった。孤軍奮闘で、父母の思い出やその後の歳月を振り返るゆとりもないまま、今ようやく落ち着きを取り戻しつつある。

.

「咳をしても ひとり」(山頭火)

.

 係累というのを直系の1親等、つまり親、配偶者、子どもに限定するなら、今のぼくには係累がない。かろうじて血筋としては姉とその子ども、甥と姪がひとりずついるが、こちらは姓も違うし、お互い養育の義務を持たない。もしぼくに何かが起きたら多少の遺産が彼らに渡る程度の間柄だ。もちろん自分の老後を彼らに頼るつもりもない。

.

 人はひとりでは生きていけないという。

 人は結局は一人なのだともいう。

 ぼくは、どちらも真実だと思う。どちらか一面だけで語れるほど単純ではない、というだけのことだ。

.

 親の大きな区切りの法要を二つ済ませ、ぼくは自分だけのために生きていこうとあらためて思う。

 自分だけのために生きて、気がついたら誰かのために生きていた。そんなことを夢見たりする。

.

 住職が「6年後は十三回忌と三十三回忌か」とおっしゃった。もとより、6年後の生死すら不明の浮世なれど、しなやかな係累を持つ身で迎えるのもいいか。もちろん断酒したままで。

.

2009年6月27日 (土)

三笠宮寛仁さまが入院

 昨日の読売新聞に短く掲載されていた記事。

.

「宮内庁は25日、三笠宮寛仁さまがアルコール依存症による脱水と血圧低下などのため24日夜、宮内庁病院に入院されたと発表した。入院期間は数日間の見通し。寛仁さまは2007年6月、アルコール依存症と診断されたことを公表し、専門医の治療を受けられた。」

.

 髭の殿下、まだ克服できていないようですね、アルコール依存症。

 2年前、公表されたとき、このブログでもエールをお送りしたのですが。

 脱水症状を起こしたということは、断酒し切れていないのでしょう。でも、今のところ、断酒しか治療手段はないのです。これは地位や財産に関係なく、みんな平等に、そうなのです。

 寛仁殿下、今回の入院をきっかけに、断酒再チャレンジしてください。ご健闘を。全国の仲間が、見守っていますから。

.

.

.

.

.

2009年6月16日 (火)

親知らずの抜歯

.

 久里浜病院に通院した平日の夕方、ちょっと空き時間ができたので、自宅近くの歯医者に予約なしで入る。

.

 半年ほど前、歯石を取ってもらったとき、詰め物に隙間ができているので根本的に治しましょうと言われていたのを、忙しさにかまけて放っていた。これからしばらくは定時で帰れそうなので、歯医者通いを思い立ったのだ。突発的に。

.

 で、その日のうちに、親知らずを一本抜いた。

.

 ある年齢以上になれば、自分の歯はできるだけ残しておきたいと思うものだ。でも、院長(というか一人しか先生はいないが)は、噛み合わせの歯もないし、これは残せば後々やっかいの元になる、今のうちに抜いてしまおうと言う。

.

 しばし考え、専門家に従うことにした。

.

 そして最近の歯科技術の進歩を肌身で知った。麻酔注射自体が痛くない。針が細くなったとか、薬が即効性になったとか、そういうことなのだろう。抜歯自体もあっけないほど簡単に終わった。ぼくは若い頃、歯を藪医者にぼろぼろにされた苦い経験がある。今の若い人は、少なくとも歯科医療に関しては幸せだ。(今は過当競争で歯医者さんもやさしく優秀になったが、むかしは藪が大手を振っていた)。

.

 麻酔が切れた2時間ほどは鈍い痛みがあったが、翌朝には普通に食事をとることができた。院長の言うとおり、無駄な歯がなくなったおかげでブラッシングが楽になった。抜いて正解だな、と思った。

.

 余談だが、アルコールや薬物は歯をてきめんに駄目にする。シンナーが歯を溶かすとはよく言われるが、アル中患者にも歯抜けは多い。とくに若年から依存していると影響を強く受ける。たかが歯と軽く見ないほうがいい。

.

 今週末、父親の七回忌と母親の二十七回忌を兼ねて法要を行なう。その前に長年温存していた親知らずを抜いた。なにかの縁だろうか。そろそろ名実ともに親離れしろよ、ということなのだろうか。

.

 世間も人も、時間とともに進歩する部分がある。そう思った方が、心の持ち方として幸せだろう。そう、ぼくもたぶん、いまもなお、進歩しているはずだ。たぶん、きっと。

.

2009年6月 8日 (月)

本と森の交換

 18日間、3週間半にわたって忙しい展示会の仕事をしていた。先週の金曜が最終日で、営業が終わってから撤去作業、そして会場の鍵を閉め、やっとひと段落。

.

 で、翌日の土曜日は朝の5時半に車を出し、途中友人をピックアップして福島県の只見という町に向かった。赤のMINIクーパーの後部座席を倒し、本が詰まったりんご箱7箱を積んでいく。2箱はぼくの、5箱は友人の分だ。

.

  只見町では村おこしの一環として、本を森と交換するという試みを数年前からしている。なんでも買い取り価格で約2000円分を、森1坪と交換してくれるのだという。編集の仕事をしている友人が仕事でたまった本をそこに宅配便で送るというので、ならばぼくの分も一緒に、ドライブがてら持参してみようということになったのだ。なにしろ今なら休日は高速道路1000円だから。

 只見まで片道約300キロ。関越から山道を通り、濃い緑のなかを走る。窓を開けると春風とともに、春蝉の鳴声が聞こえる。途中から知ったのだが、只見線というのは鉄道マニアの間ではかなりの人気なのだという。あとで川沿いの単線を2両編成で走る電車を見ることができた。

.

  村おこしの集落に着き、荷物を降ろす。買い取り価格などは2週間ほど後郵送で知らせてくれるという。食堂はないので、手作りパン屋でパンを買い、山小屋のような古本屋兼喫茶店に持ち込んで昼食とする。まわりは山だらけ。一日前までしゃかりきになって働いていたのに比べ、なんとのどかな。住むには大変だろうが、旅人として訪れるには素敵な場所だった。

 同じ道を戻るのもなんだし、ということになり、北上して磐越道から東北道経由で帰ってきた。走行距離750キロ。 結局、遊ぶときもしゃかりきになってしまった。翌日は、仕事と遊び両方の虚脱感をかかえ、ぼーっとしていた。

.

.

 個人的に高速道路休日1000円の経済刺激策は大歓迎だ。効果もあると思う。(ただし、ぼくが地元に落としたのは、古本と数百円の昼飯代だけだったが……)。

.

ところで、友人は土産に会津の日本酒を買うつもりだったが、時間がなかったので帰りの高速道路のサービスエリアで探そうとして、結局一本も見つけられなかった。高速道路の売店での酒類販売は、みやげ物も含めて、厳しく規制されているようだった。飲酒運転対策ということなのだろう。 そのうち、田舎の駐車場つきスナックというのも姿を消していくのだろうか、などとふと思った。 

2009年5月31日 (日)

業務多忙と食生活

 今の職場になって、この5月中旬から6月初旬までの約一ヶ月間は、年間でも最も業務多忙な時期のひとつになる。

 仕事の内容については、おいといて。

.

 帰宅が夜の9時近くになる。普段より2時間ほど遅い。

 普段は、それなりに自炊している。15分間クッキングと称して、炭水化物、たんぱく質、野菜、それに汁物を速攻でそろえる。男の料理だから見た目は良くないが、一応夕食をとったという区切りはつく。

.

 ところがこのところは、もっぱら帰りがけに買ったコンビニ弁当か、持ち帰りの寿司とか。野菜不足になるので、手間のかからないキュウリとトマトを添えるが。

.

 便利な世の中になったとは思う。コンビニは便利だ。

 でも、なんだか疲労が抜けないのは、なぜだろう。たぶん、コンビニ弁当では、一日の区切りがはっきりしないのではないだろうか。食生活というのを、軽んじてはいけない。んじてはいけない。

.

 もし断酒していなかったら、この時期、確実に酒量は増え、さらにつらい日々となっていたことは想像に難くない。 とりあえずはあと一週間。 コンビニ弁当の便利さに染まらないうちに、解放されたい。

.

.

.

2009年5月24日 (日)

アルコールと脳、脳と鬱病……

.

 前回報告したように、さいわいぼくの場合は3年半の断酒で、アルコール性とされていた脳萎縮がある程度治っていることが判明した。

.

 脳の萎縮とはどんな状態か? MRI検査で頭部の断面図を撮る。頭蓋骨の中に脳が納まっているのが見てわかる。 まず、この頭蓋骨と脳の間の隙間が、広がっている。それから、右脳と左脳の間や、脳の中にも空間ができている。 健常者の脳と比較すれば、素人でもたやすく見分けることができる。(もちろんお医者さんが指差して説明してくれたのだけど)。

.

 これは、加齢とともに進むものではある。個人差はあるだろうが、80歳の脳と、20歳の脳を比べれば、80歳のほうが脳は縮んでいるものだ。 もちろん、だからといって老人が若者より脳機能が劣っているとは断言できないが、好んで老化を早めることもないだろう。アルコールによる脳萎縮とは、つまり、そういうことだ。ボケる可能性が高まる、ということだ。そうぼくは理解している。

.

 ぼくは鬱病治療の過程で、アルコール依存症を指摘されたのだが、鬱病と脳萎縮には因果関係があったと思う。だから治っていると聞いたとき、素直に嬉しかったのだ。

.

 ただ、鬱病はアルコールだけが原因だったかというと、そうではない。遺伝的要素とか、長年かけて形成されてきた性格とか、それにストレスとかが重なって、複合的に発病したのだと思う。 初期の鬱状態がまずあり、それらを発散させようと酒に走ったことが鬱病を悪化させた、という図式が正しい気がする。

.

 だからぼくにとって断酒は、鬱状態に戻らないための必要最低条件であって、その他の精神的ケアもたぶん大切なのだ。周りの人に、ぼくが断酒を楽に続けているように見えるとしたら、それが一因かもしれない。断酒だけで安心していられる状況ではないのだ。

.

 それにしても、鬱病への対抗策が「清く正しい食生活」とは!!

 ぼくの場合、いまのところ結論は、つまらないくらいシンプルである。

.

 

2009年5月16日 (土)

脳萎縮が治っていた!!

.

 断酒のきっかけになった、頭部MRI検査による脳の断面写真。

 3年半前、画像をじかに見せられ、医師から言われた。

「脳のあいだに隙間があるの、わかりますか? 脳が実年齢より萎縮しています。そうですね、15年分くらい。アルコールの影響です。 断酒すれば、3年くらいで元に戻る可能性はあります。必ずとは言い切れませんが」

 先週、久里浜アルコールセンターで担当Dr.が、カルテを見ながら笑顔で宣言してくれた。

「脳萎縮、治っていますよ。先月の検査結果が出ています。がんばりましたね。でも、またお酒飲むとすぐ逆戻りだから、気を緩めないで」

 嬉しかったなあ。しみじみと。

 現代人の常識として、人間の「心」は「脳」にあるとぼくも考えている。だから、その脳が萎縮して、小さくなって、機能障害を起こしていたことは、なによりもショックだった。あの断面図がなければ、断酒の決意はしなかったかもしれない。

 先月MRI検査を受けるとき、担当Dr.は、「あまり期待しないでくださいね」とフォローしていた。ぼくも、実感として頭の機能は戻ってきているし、前回検査からさらに年齢を重ねているのだから、治っていなくても仕方ないな、と半ばあきらめていた。

 同病の方に伝えたい。過度のアルコールの害は、たいてい長期間にわたって蓄積されているので、治るのにも時間がかかる。でも、アルコールが原因ならば、断酒すれば、体の自己治癒力で、治るものは治る。結果をあせらず、信じて継続すれば、あらたな光景も拓けてくる。

 大きなことを言える立場ではないが、ささやかでも、自分が恢復していく実感をもているというのは、生きている上でとても励みになるものです。

.

 さて、理屈屋なので蛇足ながら。

 「心」は「脳」にある、というのは実感だ。「心」がその時の感情、喜怒哀楽、生きる力などを指すのなら、「脳」の障害は「心」の機能に確実に関連している。最近の脳科学ブームで、脳のどの部位が、認識や感情をつかさどっているかもかなり解明が進んでいるようだ。

 ただ、「魂」は「脳」にあるのか、という疑問は残る。自分を自分だと認識している、まさにこの「自分」というやつ。

 せっかく戻った脳を駆使して、そんな生活の役には立たないことを、ゆったりと考えていくつもりだ。

.

.

2009年5月10日 (日)

落とし穴

.

 4月は職場に定年退職者がいたこともあって、飲み会が多かった。

 断酒歴3年半、たいていのことには動じなくなってきたが、それでも思わぬところに落とし穴や、罠が仕掛けられていたりする。

.

 今回ひやっとしたのは、立食パーティでのこと。酒類は一切駄目なので、もっぱら食べる方専門だ。最近は甘いものにも自然と手が出る。

 宴も後半となり、デザート類が運ばれてきた。小さなグラスに入ったパフェ風ケーキを手にとる。スプーンですくって口に入れる。

『やばい!!』

 一瞬躊躇したが、口の中のものをグラスに戻し、汚れた皿が置かれているテーブルの隅に、そっと置いた。

.

 スポンジケーキにたっぷりと、シェリー酒がしみ込んでいたのだ。きっとこのケーキを2,3個食べても、飲酒運転の検問にも引っかからないほどの量だろうが、これは危なかった。中川元大臣風に言えば、「ごっくん」していたら、断酒の経歴に傷がついていた。

.

 もうひとつ、ゆるせない罠。

.

 居酒屋での送別会。ぼくがずっと断酒しているのを充分知りながら、「**さんの送別会だから、久里浜さん、今日くらい一杯いいでしょう」と酒をすすめた年上の部下。

.

 まわりの女性陣が「ダメ、ぜったい!!」と彼を止めてくれた。いや、すすめられても飲むつもりはまったくなかったのだが

 彼は何かあるといつのこの調子だ。ぼくのことがよほど嫌いなのか、記憶力が悪いのか、想像力が欠如しているのか、酒屋のまわし者なのか。たぶんそのすべてが正解なのだろう。

.

 悪意がなくても落とし穴はある。

 悪意に満ちた罠もある。

 平和な世の中のはずなのに、ぼくのまわりは、けっこうハードボイルドなのだ。

.

2009年5月 6日 (水)

同情されない病気

.

 先週、あてもなくNHK教育テレビを見ていたら、たまたま「依存症」を特集していて、断酒歴3年目という30代半ばの男性がとりあげられていた。彼は新しい職場にもなじみ、昨年、ひとまわり年下の女性と結婚したそうだ。うらやましい。

.

 いや、そういうことではなくて。

.

 ゲストに、元旦那がアル中だった、漫画家の西原理恵子が出演していて、そのコメントが印象に残っている。元旦那の戦場カメラマン・故鴨志田譲は西原と離婚した後、自ら施設に入り断酒。復縁した直後に腎臓癌を発病した。

 その鴨志田が、西原につくづく言ったというのだ。

「癌だとわかったらみんなとっても優しくしてくれるね。前のときは見向きもされなかったのに」

.

 前のとき、とはアルコール依存症で闘病生活をおくっていたときをさす。西原は言う。

.

「アルコール依存症も癌も、たいへんな病気なのは同じなのに、アルコール依存症は天罰みたいに思われていたりする。どっちも、たいへんな病気なのに……」

.

 それまで 「このアル中が!!」 と蔑まれてきた鴨志田にとって、病で優しくされるということは驚きだったのではないだろうか。ただ、それは彼にとって最後の安らぎになってしまったのが、よけいに切ないが。

.

 自己責任、自業自得。もし今の断酒に失敗したら、ぼくはその誹りは甘んじて受けよう。だけど、酒に走った頃の自分を、ぼく自身は蔑みたくない。彼には彼なりの鬱屈があり、酒に走る必然はあったのだ。この世に一人くらい、その頃の彼を庇ってやる人間がいてもいいではないか。それが未来の自分だけだったとしても。

.

2009年4月24日 (金)

草彅くんを断酒会シンボルに

 SMAPの草彅剛くんが、酔って裸になったと大騒ぎになっている。

.

 個人的には草彅君に同情的だ。大臣の失態とは次元が違う。大酒飲みならばあの程度の武勇伝は多かれ少なかれあるだろう(ぼくの場合だと、放置自転車窃盗、器物破損、家宅侵入、業務威力妨害、無賃乗車未遂、等等。よくぞ無事だったものだ)。

芸能人だから、薬物がらみで疑われたのかもしれない。

ただ、仕事関係で被害を受ける人もでてきているわけで、酒はやはり怖い。本人も酔いから醒めて、呆然としているのではないだろうか。

.

 この件で、いろんな人がいろんなことを言っている。

 首をひねるものもある。

 今日の読売新聞朝刊の「編集手帳」という、一面の下にあるコラムに書いてあった。

.

「◆才能があって、売れて、皆に愛され、それでも法と常識を超えなくては晴らせなかった鬱屈とは、何だったのやら。どれも持ち合わせぬ身は、何を脱いだらいいのか分からない」

.

  才能があろうが、売れていようが、人はみな鬱屈をかかえて生きるものだろう。深く暗い鬱屈を。これを書いた新聞記者は、人生における鬱屈を味わったことがないのだろうか。だとしたら、そんな人に、血の通った新聞記事は書けない。偏差値は高そうだけれど、人間的な経験智を感じさせない書き手だと思った。

.

 閑話休題。草彅くんが、もし、もう一生酒など飲まないと誓ったなら、ぜひ断酒活動のシンボルになっていただきたい。なんだか利権の匂いがプンプン漂う地上波デジタルTVの広告なんかに出るより、よっぽど世のため人のためになるはずだ、とぼくは思うよ。

.

 

.

2009年4月15日 (水)

腹黒いわたし

.

 大腸の内視鏡検査を受けてきた。とくに異常があってのことではなく、会社の定期健診には含まれていないので、久里浜アルコール症センターの担当Dr.にすすめられたから。前回は同病院に入院していた時だから、もう3年以上経過している。

.

 数ある検査の中でも、大腸内視鏡はかなりつらい部類に属す。とにかく腸内をからっぽにしなければならないので、前日からの食事制限、そして当日は下剤2リットルくらいを時間をかけて飲む。そしてスコープをお尻の穴から入れられて、痛くもない腹をさぐられる。

.

 検査当日は大忙し。担当Dr.にカウンセリング受けている間も下剤のボトルを抱え、便意にびくびくしていた。やっと腸がきれいになったと思ったら、検査は午後1時からということで空腹のまま時間をつぶす。ようやく「後ろ空きの紙パンツ」を着用して処置用ベッドに横たわったら、なんと担当するのは若くて美人な女医さん。恥ずかしい。

.

 以下、挿入されてモニターを見ながらの会話。

医「エクボみたいな窪みがあるでしょう。ここに宿便がたまるのよ」

僕「あ、ホントだ。汚くてすみませんねえ」

医「体を上向きにして、手で腹部のここを押さえて」

僕「ひえー、腹の中で動いてますね」

医「ここで行き止まり。これから戻る間に、しっかり見ていきますから」

僕「よろしくお願い……やっぱり動いていますね、中で」

医「下剤とかよく飲んでいますか」

僕「?。 いえ、便通はいい方です」

医「腸壁に色素が沈着しているような……下剤飲んでいる人に多いんだけどな~」

僕「確かに、前に見たときよりピンクがくすんでいる気が……あっ、もしかしたら、市販のメタボの薬、腹回りをすっきりさせるっていうのなら、飲んでいますけど」

医「漢方系のやつね、そのせいかしら。心配なものではないけど。 はい、終了。とくにポリープとかはありませんでしたよ」

僕「ありがとうございまーす」

.

 そうなんですよ。前回は小さなポリープが見つかり除去したけれど、今回は異常なし。それはけっこうなんだけど。

 腹黒くなっていた。

 思い当たることは、少し、ある。

 メタボ予防の薬以外にも、いくつか。

. 

そうそう、頭部のMRIをその後撮っていて、飲酒による脳の萎縮が回復しているかどうかも調べてもらっている。結果は次回通院した時でないとわからないが、脳の断面図に、腹黒くなった原因が映っているかも。乞うご期待。

.

2009年4月 5日 (日)

桜の国

. ..

 桜、満開。

 今年はことさら桜の名所には出かけなかったが。

 それでも、自転車で近所を走っていて、実にさまざまな場所に桜が植えられているのに気づく。

 並木道。公園。川の流れに沿って。あるいは個人の庭にも。

.

 この国が、いかに桜を愛しているか、この時期になるとあらためて気づかされる。

.

 逆を言えば、花が咲いて散るこの2週間ほど以外は、桜は目立つことなく、われわれの傍に立っている。ただの「木」として。

.

 たぶん、日本人には桜の無常感が合っているのではないだろうか。春が来れば桜の花は咲くが、それは瞬く間に散っていく。季節は春から夏、秋、冬へとうつろう。 時は二度と戻らない。 日本人は無宗教だといわれるが、これほど自然の豊かな国にいて、なぜあえて擬人化した神を上におく必要があるだろうか。 人間は自然とともにある。それがこの国の人たちの、宗教といえば、いえるのかもしれない。

.

 百年に一度の危機だと、国が出来て200年ちょっとしかたたない国の偉い人が言い、そんな気になってマスコミも騒いでいるが。

 この国では、百年の間には全土が焼け野原となり、他国に占領され、無一文から出直した経験がある。宗教観も、経験値も、かの若い国に劣ってなどいないのだ、とぼくは思う。

.

 たった2週間しか咲かない花の木を、あえて愛する。

 そんな桜の国を、実はぼくは、嫌いではない。

..

2009年3月27日 (金)

春は来るハズ。

 年度末、である。

 多くの企業にとって、3月は決算月。売上未達成の営業マンは最後の追い込み。商店ではバーゲン。経営者は資金繰りに走る。(鉄道の人身事故が増える季節でもある。くれぐれもご自愛を)。

.

 人事異動も多い。

.

 そして4月になると人心一新、新入社員も入ってきて、新しい年度が始まる。

.

 Spring has come.

 春は来るハズだ。 そう信じたい。

 話は変わるが、WBCは2年に一回の開催のハズが、次回は4年後になるのだそうだ。(アメリカが優勝できるようにまたルールでもいじるのかな?)。イチローは記者に「次も出ますか」と聞かれ、「4年後なんて、生きているかどうかもわからない」と答えていた。至言である。

.

 同じくイチローの名言。

「こころが折れそうになっていた」

 よく、断酒のきっかけとされる「底つき感」が理解できないと言う人がいる。だったら、イチローの言っていた「こころが折れる」というのはどうだろうか。

 だれもがイチローのようなヒーローになれるわけではない。でも、あのイチローでさえギリギリのところで勝負しているのだ。ならば我ら凡人は、こころ折れても、またそこから花を咲かせていくしかないではないか。

.

  それにつけても「春は来るハズ」。 我ながら、名訳だなあ。

.

 

.

.

.

.

.

2009年3月18日 (水)

西原理恵子とアル中の男たち

.

 漫画家の西原理恵子が3ヶ月ほど前に出版した「この世で一番大事なカネの話」(理論社)という本は、中学生あたりを対象とした「よりみちパンセ」シリーズの一冊だが、大人が読んでも唸らされる。今回は、その中からアル中に関する記述を抜粋してみる。

.

 まず、実父について。

「わたしと血のつながったお父さんは、お酒を飲むと手がつけられないほど暴れたらしい。お母さんは子どもたちを守るために離婚して、自分が生まれた町に帰ってきた。お父さんはアルコール依存症で、わたしが三歳のときにドブにはまって死んだ。だからわたしには血のつながったお父さんの記憶がない。」

.

 そして、夫となった戦場カメラマン・鴨志田穣、愛称「鴨ちゃん」について。

 彼は西原と結婚した後、アル中となった。酔っては暴言をぶつけられる生活。へとへとに疲れ、離婚した。そこからが鴨ちゃんの偉いところだった、と西原は言う。彼は専門施設に入院し、アル中を克服しようとした。西原の文章が泣かせる。

.

「アルコール依存症っていうのは、おそろしい病気なんだよ。家族の愛情や支えでどうにかしようっていうのが、まちがいなの。病気だから、専門の病院にかかることが必要だった。そのころにはトイレで大量の血を吐くほど、重症になっていた鴨ちゃんは、それでも入院して、その病気に立ち向かった。

 病院で、ひとりぼっちで、自分の心に開いていた深い暗い穴と闘った。

 きっととてもこわかっただろう。うんと心細かっただろう。

 それでも必死で立ち向かって、とうとう勝った。アルコール依存症という病気をちゃんと治して、家族のもとに帰ってきたんだよ。」

.

 でも、そのとき鴨志田は末期癌に侵されていて、復縁して半年後、帰らぬ人となった。

 ぼくはアル中にささげられた文章で、この西原の言葉ほど身にしみて、身につまされ、泣きたくなるようなものを、今まで読んだことがない。

 鴨志田をうらやましいな、とさえ思った。

.

 おそろしい病気だったとわかってくれる人がいるだけで、こころはずっと軽くなるはずなのだ。たぶん。きっと。

.

2009年3月 9日 (月)

ボクシング・金平会長のアル中告白

 協栄ボクシングジム会長の金平桂一郎が書いた「拳の真相―わが父と11人のチャンピオンたち」という本を読んだ。

 とくにボクシング好きというわけではないが、亀田兄弟をめぐる一連の騒動の中で、ひときわ人相の悪い男がいて、なんだか自分と同類のにおいがして気になっていた。顔はどす黒く、目の下には隈ができていた。それが金平桂一郎だった。

.

 その自伝によると、ソ連留学中にウォッカを覚え、父・金平正紀の死後27億円の負債を抱え、様々なプレッシャーでアルコール依存症になっていったという。亀田興毅が協栄ジムに移籍してきた2006年暮には、ガンマGTPが2864まで上がり、ドクターストップがかかったとか。やはりあの悪相はアル中のものだったかと思い、同時に少し親近感もわいてきた。(ちなみにぼくのガンマ最高値は3000を超えていた。勝った……とかの問題ではないけど)。

.

 金平は本の中で、アル中についてこう結んでいる。

「今は大丈夫ですが、この先どうなるかはわかりません。もしかすると、五年後、十年後にまたお酒を飲み始めたら、堰を切って飲み続けるようになり、命を縮めるかもしれません。……そういった不安感は常に抱いています。お酒をおいしいと感じるようになる自分を見たくないから、断酒をしているようなものです。今は、その恐怖心との戦いの真っ只中にいます。」

.

 彼は施設にも断酒会にも入らず、自力で断酒をしているようだ。なにかと裏のありそうな世界に身をおいての拳闘、じゃなくて健闘、陰ながら応援させてもらいまっせ。(ぼくの運転免許証の写真はアル中時期のものなので、やはりかなりの悪相に写っている。はやく更新したいのだが。)

 .

.

2009年3月 3日 (火)

三平のDNA

.

「談志師匠に言われたの。三平の狂気を引き継いでいるのは泰葉ちゃん、あんたなんだから、自信を持ってやればいいって」

.

 スポーツ新聞か週刊誌で何気なく読んだ記事が、妙に印象に残っている。

 小朝との離婚騒動以来、なんだかすごいことになっている泰葉が、立川談志にそう言われた、というのだ。

.

 言えてるな~。さすが談志師匠。

 林家三平は今でこそ「昭和の爆笑王」なんて伝説化しているが、ぼくはテレビでリアルタイムの三平を見ていて、噺家としてそれほど評価はしていない。

 むしろ三平の芸は、子供心に「恥ずかしい」ものだった。それが何なのか長い間疑問だったのだが、「狂気」と言われてみれば、なるほどと腑に落ちる。

.

 泰葉の言動に見る恥ずかしさと、三平の芸に感じた恥ずかしさは、たしかに同質なものに思えてきた。そーか、それは「狂気」だったのか……。

.

 もって生まれた狂気は、怖いもの知らずだ。凡夫である我々が真似をしようとすると、大やけどをする。 狂うことにも、才能は必要らしい。

.

2009年2月22日 (日)

中川もと大臣と「底つき感」

 前回このブログで取り上げた中川昭一大臣は、二転三転の末、辞任という結果となった。

.

 今週発売の「週刊文春」で中川氏のこれまでの酒癖が書かれている。

     小泉純一郎に「昭一、朝から酒を飲むな」と叱責された。

     ある大臣を罵倒したことが報じられると「睡眠薬を飲んでいたから」と弁明した。

     参院本会議で酔って答弁ができず、あとで「腰痛の鎮痛剤を飲んだ副作用」と説明。などなど。

.

 今回だけでなく、同様の酩酊状態を何度も公の席で晒していたわけだ。そして、今回同様、薬を言い訳に使っている。かと言って確信犯というわけでもなく、無自覚にここまで来てしまったように見える。取り巻きも、そして本来もっと追求しなければならないマスコミも、黙認していた。それどころか、あの会見直前の昼食には複数の女性記者が同行し、中川氏と飲食をともにしていたという。まさに、アルコール依存症に見られがちな「共依存」関係が出来上がっていたのだ。

.

 ぼく自身、偉そうなことを言えた立場ではない。かつてアルコールに負け、今もまだ戦い続けている身だ。

.

 でもね、中川さん。人にはそれぞれ与えられた立場と、役割と、責任というものがある。あなたは自ら望んで政治家になり、担当大臣という役割を受け、百年に一度という危機的な時期に金融サミットに出席した。ぼくとは背負っているものの重さが違う、と思うのですよ。

.

 人生には「底」を感じる瞬間がある。アルコール依存症を克服しようと決意した人の多くは、この「底つき感」を体験しているという。ぼくもそうだった。

.

 中川さん自身は「底」を自覚しただろうか。

 もしかしたら、日本という国の「底」を実感したのは、あなたの姿をテレビで見ていた日本国民だったのかもしれない。

 だとしたら、もしかしたら、これから日本という国は、浮上できるかもしれない。

.

「底」というやつは、いつでも、とんでもなくみっともない姿をしているものなのだ。残酷なことだが。

(でも最後にひとつだけ。くれぐれも中川さん、自殺なんてしないでくださいよ。何年経ってもいいから、この国民への借しは、しらふで返してください)。

.

 

.

2009年2月16日 (月)

中川経済相はアル中か?

.

 今日は月に一回の久里浜アルコール症センター通院の日。久々に作業棟へ顔を出す。3年前の入院時お世話になった女性の作業療法士さんは配置換えになり、その後任の新人さんに挨拶。世代交代は淋しいけど必要なこと。これから貴女の仕事で人生を立て直せる人がきっと出てきます。頑張って。

.

 さて、確定申告などの雑用があったので早々に帰宅して、夕方ニュースを見ていたら、中川経済相が、G8金融サミット後の記者会見で酩酊疑惑との報道。さっそくユーチューブで問題の場面を見てみました。

.

 ひとことで言えば。

「酔っている~」

 .

 ろれつが回っていない。日本語の質問が理解できていない。

 その後、風邪薬などのせいだと釈明しているようだが、風邪薬だけではあの状態は説明できない。量の多寡はどうであれ、アルコールとの相乗作用によるものだろう。中川氏は以前からお酒を召し過ぎると評判の人物。そういう人が、大事な場面でああいう状態を晒せば、もはや弁解の余地はない、と私は思う。

.

 アルコール依存症者の特徴のひとつとして、自分の酒量に自信を持っている、というのがあげられる。ビール一本なら、ワイン一杯なら水と同じ、という感覚だ。中川氏の感覚では、たしかに当日、度を過ぎるほど飲んだという認識はないのだろう。それでも過労や風邪薬などが自分の想定外に効いてしまった。飲酒運転事故によく見られるパターンだ。

.

 鬱病疑惑の安部元首相、アル中疑惑の現役大臣。どちらの病も経験した立場から言わせてもらえば、どんな小さな仕事でも、これらの病気にかかったままやり遂げることはむずかしい。ましてや国政ともなれば。

.

 これから野党がどのように追及してくるかわからないが、中川さん、世間に流れているご自身の醜態画像をじっくりとご覧の上、これからもお酒を続けるかどうか、真剣にお考えいただきたい、と思うものです。(なんだか正義漢っぽい論調で照れます。でも、自分がこうして克服していることに鈍感な人に、自分の生活を預けるのは、やっぱり感覚的に嫌だ!!)

.

2009年2月 8日 (日)

音楽仲間

 土曜の夕方、大学の音楽サークルのOBコンサートがあり、友人が出演するというので聴きに行ってきた。

.

 いくつかの音楽サークルが合同で行なっているもので、今回が4回目だとか。友人はその中では年長格なので出番は最後。 1時間ほど前にライブハウスに着くと、知らないオジサンバンドが熱演中だった。

.

 リーダーとおぼしき男性は、歌詞が読めないらしく、途中から老眼鏡をかけていたのには共感してしまった。誕生日おめでとうとメンバーに声がかかり、今年でちょうどと答えていたから、50歳か。ぼくより少しだが若い。なんだか興味がわいてきた。

.

..

その中で、ブルースハーモニカとボーカルを担当している男性に、どうも見覚えがある。得意先のI課長にやけに似ているのだ。30分余の熱演が終わり、仕舞い支度をしている男性に思い切って声をかけた。

.

「Iさんですよ、ね?」

「はあ……」怪訝そうな男性。やはり間違いない。

「OO会社の久里浜です。こんにちは」

「あ~っ!!」

.

 手を取り合って喜びましたね。なにせいつも仕事の話しかしていない同士が、こういう趣味の場で、不思議な出会いをしたのだから。

 その次のバンドは女性二人のフォークデュオ。このグループは知っていた。学生時代、何度か一緒にやったことがある。なんと25年のブランクを乗り越えて、同じメンバーで復帰して活動中とか。ハーモニーがきれいだ。

.

 最後は友人のいる大所帯のバンド。友人といっても、去年母校でのイベントで偶然再会するまでは約30年会っていなかった。 年をとると、思わぬところでむかしの利息が戻ってくることがある。おもしろいなあ。

.

 友人はボイストレーニングと出演前のビールの成果が出て、現役が裸足で逃げ出すほどの声の伸びだった。

 ぼく自身はサークルには所属しないはぐれ者だったので、こういう会にいままで縁がなかった。 よく中高年のバンドブームなどといわれたりするが、自分のやっていた音楽とはスタイルが違っていたし。

 それから、音楽演奏とアルコールというのはぼくの体の中でほとんどイコールになっていて、飲まずに楽器を手にとる自信がこれまでなかった。

.

 でも。人前で自作の歌を弾き語りなんかしてみたいな、と久々に思った夜となった。 もちろん、ノンアルコールで。

.

.

.

.

2009年1月30日 (金)

酒池肉林

.

 麻生首相のことを笑えない。

 先日、広辞苑が入っている電子辞書で、何気なく「酒池肉林」をひいて、自分がそれまでこの言葉の意味を、やや間違って理解していたのがわかった(なんでまたそんな言葉を調べたか今となっては不明)。

.

しゅち・にくりん【酒池肉林】 [史記(殷本紀)「以酒為池、懸肉為林」]酒や肉が豊富で、豪奢を極めた酒宴。

.

酒池は理解どおり。問題は肉林。またまた広辞苑より。

.

にく・りん【肉林】[史記(殷本紀)]肉のはやし。宴席などで、肉がたくさんあって豪奢なさまをいう。「酒池―」

.

 ぼくは今まで、酒池肉林というのは、お酒や料理プラス、きれいな若い女性が肌もあらわに遊んでくれることだと思っていたのだ。つまり肉林=女性の脚が林立しているイメージ。

.

 そうか。肉林は食べるお肉のことだったのか。 あれしたりこれしたりするお肉ではなかったのか。 どこでどう間違ったのかなあ?

. 

 さて、ぼくは「酒池」を未来永劫、絶った。 そして、ダイエットに関心を持った結果、肉より魚や野菜のおいしさに目覚めつつある今、「肉林」もまた遠い世界になりつつあるようだ。

.

 酒池肉林よ、さようなら。

 諸行無常、いとかなし。

2009年1月22日 (木)

人生相談

.

 昨日(09年1月21日)の読売新聞朝刊の人生相談欄で、「体調悪いのに酒断てぬ父」という相談が寄せられていた。

20代の女性が大酒飲みの父親を心配し相談したもの。父親は酒で体調を崩しがちのため仕事先の信用をなくし、母のパート収入で生計を立てている。女性には生まれたばかりの子供がいて、父親も孫を可愛がっているので長生きして欲しいのだが……、という内容だった。

.

 この相談に、精神科医の野村総一郎氏が回答を寄せている。

 ぼく自身の参考にもなるので、ここに全文を掲載してみる。

.

―― お父様はおそらく人柄自体は悪くない方なのでしょうが、自己破壊的飲酒を繰り返し、周りにも迷惑をかけっぱなし。長生きを願うこんなに優しい娘さんの気持ちを踏みにじり、もう勝手にしろ! とでも言いたくなりますが、これは「アルコール依存症」という心の病気ゆえであり、もはや「酒を控えて!」「はい。そうします」とやめられるレベルを超えています。そう。これは病気ですから、一日も早く医療のシステムに乗せるべきなのです。

 なぜ飲酒をやめられないのかというと、結局は病気の認識がないからであって、言い訳のうまさばかり目立つのが常です。したがって治療も難渋しますが、まず病気の自覚を促し、中途半端な節酒では意味がないこと、いかに周りを苦しめ、社会的にもドロップアウトしつつあるかの教育を行なううち、問題意識が芽生え、そこから第一歩が始まります。

 そこまでにすでに長い年月がかかることもありますが、それでも治療を始めないと、事は動かない。幸か不幸か、アルコール依存は日本でも非常に大きな問題で、保健所、専門の病院など相談機関がそれなりに充実していますので、相談を急いでください。――

.

 まさにここに書かれている通りだと思う。久里浜アルコール症センターで同室になった年上の男性は、定年間近の公務員で、このケースと同じように、家族に説得されて入院したのだが、自分でも定年で家にこもったら酒だらけの人生になりそうで怖かったと言っていた。

. 

 ぼくがこのブログを書き続けているのは、「一人断酒会」的な要素が大きいのだが、その蓄積がだれかの役に立てば、という思いも微かにある。 ただ、そのためには自分の断酒が継続していかないことには、洒落にもならないのだ。

.

2009年1月13日 (火)

道路は続くよ

.

 酒をやめて、ドライブが趣味のひとつに定着した。この連休も、常磐道を走って大洗海岸、那珂湊で遊び、宇都宮の姉の家に泊まり、東北道で帰ってきた。

.

 つい最近、この常磐道と東北道を結ぶ高速道路が開通したので、関東圏のドライブ範囲はぐっと広がった。東京に住んでいると感じないが、地方における道路の充実というのは目覚しいものがある。

 よく地方格差問題といわれるが、こと道路に関しては、東京の人間は割を食っているな、と思う。首都高速などいまだに10数キロ走るだけで700円ですよ!

 って怒っても、都心で新たに道路整備をする難しさも、わかってはいるんですが。

.

 ここで日ごろの疑問をひとつ。たいていの高速道路は制限時速80キロ、まれに100キロ。でも、渋滞でもしていなければ、巡航速度は100~120キロだ。80キロで走っていれば必ず追い抜かれていくし、全体の流れを乱しかねない。自動監視カメラでも、20キロオーバー程度で捕まったという話は聞いたことがない。 ならばこの制限時速というのに何の意味があるのだろう。まさに日本的なホンネとタテマエだなあ、と思う。 それから、景気刺激対策として発表された高速道路一律1000円の件、どうなっているんでしょうね。

.

 ともあれ、20世紀から21世紀にかけては自動車の時代だった、と後世語られるのだろう。自動車産業が大国の経済を押し上げ、自動車を走らせる道路の整備が内需を潤してきた。

.

 自動車の次に来るものはなんだろう。 ブッシュさんだったら、「戦争!」なんて言い出しかねなかった。順当にいけば「環境」ということになるんでしょうけど、ねえ、オバマさん。

.

 ちなみに愛車・赤のミニクーパーは快調です。乗り心地は大人用ゴーカート。断酒したぼくの代わりに、揮発成分をどんどん消費しております。

.

 気がつけば中年暴走族? つい調子に乗りがちなので、飛ばしすぎには、注意いたします。

2009年1月 4日 (日)

09年 初心表明

. 

 AD歴0004年。

.

 なんだか「スタートレック」みたいでかっこいいな。前回思いついたのだけれど、これから断酒界でひそかに定着させようと、たくらんでいます (ちなみにADとはアフター断酒の意。断酒してから何年目かを表わしています)。

.

 2006年(こちらは西暦)1月4日に、久里浜アルコール症センター東6病棟を卒業しました。ちょうど3年前の今日。ただし個人的な断酒記念日は05年9月13日だから、すでに丸4年目を迎えている、というわけです。

.

 時代はますます生きにくくなっているようですが、心の持ち方次第で、その感じ方はずいぶん変わってくるはず。

 酒をやめたら負のスパイラルから脱出できた。そして、どんなに長く酒を飲まなくても、ほんの一口で元に戻ってしまうことをぼくは知っている。

 断酒の先にある、魂の安寧をめざして。

 酒を飲まないことが目的ではない。よりよく生きるための手段として断酒する。食べるために生きるのでも、働くために生きるのでもないのと同じように。

.

 新年なので、ちょっと格好つけてみました。(本音はやっぱり簡単に落ち込まないこと、断酒を続けること、ですね)。

.。

 

2008年12月30日 (火)

2008年回顧

.

 2008年。

.

 またはAD3年。(アフター断酒。それ以前はBD歴となる。こちらはビフォア断酒)。

.

 年をとると一年が短く感じられるというが、ぼくは今年を振り返ると、一年前の正月が遥か彼方のことに感じられる。読売新聞に体験談が掲載され、それが本になったり。職場がリストラにさらされたり。そうそう、車も買い替えたっけ。

.

 で、2008年を5文字で表現すると。

.

 「色々あった」       (by清水義典)

.

 おあとがよろしいようで。

2008年12月28日 (日)

酔っ払いの悪癖ワースト3

.

 ようやく忘年会も全行程を終了。あとは明日29日、3時くらいまで仕事して、職場で簡単に打ち上げして、無事仕事納めと相成りまする。

.

 さて、酒を飲めない身で宴席に出るようになって3年。酔っ払いをしらふの目でじっくり観察していると、いろいろ気にかかることも出てきます。今回は、ぼくの感じる酔っ払いの悪癖ワースト3をあげてみましょう。

.

 壱。自慢話。

 弐。セクハラ。

 参。同じ話の繰り返し。

.

 嗚呼、自分もこうだったんだ。

 どれも、酔っ払いに自覚はないんです。でもねー。弐のセクハラとか、よく女性が我慢しているな、という場面多いです。とくにダメなのはオジサン世代。セクハラにパワハラとアルハラ(アルコール・ハラスメント?)のトリプル状態になっていて、見苦しいことこの上なし。

.

 オジサンたち、ストレス発散にはなっているんだろうな。 

 でも、酔っている側は翌日忘れていても、しらふの側は覚えていますからね。

 くれぐれもご用心を。ご同輩諸兄。

2008年12月17日 (水)

もっと悲惨だったよね

.

 前回紹介した書籍「私のうつノート」の、ぼくの取材記事部分を、何人かの知人に読んでもらった。読売新聞の記事に載ったときも同じ反応があったのだが、親しい人ほど

「簡潔によくまとまっているけれど、実際はもっと悲惨だったよね」

 との感想が多かった。

.

 第一章を書いた読売新聞の龍野記者も、「うつ体験は当時の記憶が確かでなく、振り返っても覚えていないことが多かった」と記しているが、同じことがぼくにも言えるかもしれない。

.

 苦しかった過去をそのまま記憶していたのでは救われない。そんな安全弁のようなものが脳にはあるのだろう。

.

 よくよく記憶をたどれば、うつ症状を悪化させる言葉をいくつも投げつけられた。

最初の入院直前に、上司の机に置かれていた「無能な人間は職場にいらない」と書かれた匿名の手紙。二度目の入院の前に、別の上司から言われた「なぜ自分で(うつを)治そうとしないのか」という叱咤……。

.

 酒の上での失敗にしても、この匿名の場でさえ書けないようなことが、本当はまだまだある。

.

 今の自分の元気さをこのブログで伝えたいと思う反面、病気で体験した辛さを健全な人にもっと知ってもらいたい、と、本の出版に際し、あらためて思った。

言葉にすることは大切だ。でも、言葉ですべてを語ることもまた、むずかしい。

 

2008年12月 8日 (月)

「私のうつノート」好評発売中

.

 中央公論新社から「私のうつノート」(読売新聞生活情報部編・定価本体1200円)が10月10日に発行され、現在3刷りと好評発売中です。

.

 本書は読売新聞の記者・龍野晋一郎記者が実名で、自分の鬱病体験を読売新聞紙上で発表したところ、おおきな反響があり、その後の取材記事もあわせて単行本化されたもの。

. 

 で、その中に私も「お酒に逃げ、依存症併発」(127~131ページ)で鈴木弘(仮名)として登場しています。 今年の2月頃読売新聞に掲載され、このブログでも紹介させていただきました。

.

 鬱病をわかりやすく、多方面からとらえた好著です。書店などで見かけましたら、ぜひお手に取ってみてください。以上宣伝でした。(いえ、べつに印税とか入るわけじゃないんですが……)。

2008年12月 1日 (月)

フォースの暗黒面

 映画「スターウォーズ」第1作を最初に観たときの衝撃は強烈だった。

 まず特撮がそれまでの映画とは決定的に違っていたのに興奮。

 それから、ラストシーンに喝采。ハリソンフォード扮するハンソロ船長が、主人公ルークの危機に颯爽と駆けつける名シーン。ぼくは、ハリソンフォードの役者としての成功はあそこから始まったのではないかと思う。

.

 さて、そのちょっと前の、ルークが敵要塞を爆撃しようと戦闘機からミサイルを発射するシーン。機械で標準を合わせようとするルークに、死んだはずの恩師の声が聞こえてくる。

「ルーク、フォースを信じるのだ。」

 コンピュータの標準器をはずし、自らのフォースを信じて発射されたミサイルは、見事標的を直撃する。

.

 映画でフォースは「理力」と訳されている。

 ルークのとった行為は、日本人なら馴染みのある、剣でいうところの「無の境地」だろう。

 そのフォースの「暗黒面」に支配された敵キャラクターがダースベーダーというわけだ。

.

 ぼくはこの設定が気に入っている。「理力」という訳はあまり好きではないが、これを「無意識の力」とでも言い換えれば、今の心境として腑に落ちる。

.

 最近、自分がフォースの暗黒面に捕らわれかけているな、と思えることがいくつか重なった。怒りや妬みはある意味で強い力を発揮する。頭の中がそれだけでいっぱいになれば、成果も上がりやすいだろう。

するとどうなるか。

無意識がマイナスに働くようになる。結果として、因果応報というか、自分にマイナスの結果が返ってくる。心理学的にはどうか知らないが、無意識は奥が深く、人は昔からそのことに気づいていたのではないか。ぼくは自分自身の経験から、そう信じるに至っている。

.

鬱病のコントロールも、最終的には無意識をどう手入れしていくかにかかっているように思う。 では、どう手入れするか。それは、自分で試行錯誤しながら探し当てるしかないようだ。

 

 

.

2008年11月26日 (水)

少女の涙 (+自己満足の525円)

.

少女が泣いていた。

 ぼくはそっとハンカチを渡し、電車を降りた。

.

 うあー、気障!!

 でも、つい最近、上記のようなことをしてしまった私です。(援助交際のもつれとかではない!!)

.

 日曜日の午前10時頃、親戚の法事に出るため、私鉄の各駅停車に乗った私。

 電車は空いていて、座席もまばら。

 座ると、隣の女性の様子がおかしい。うつむき加減に肩を震わせている。

 よく見ると、大粒の涙がぽたぽたと落ちている。

 10代後半と思われる、コギャル系というのだろうか。ちょっと派手だが可愛い服とブーツ姿。髪は染めていない。お化粧は厚目かな。

.

 乗って4つ目がぼくの降りる駅だった。

 そのあいだ迷ったのだが、彼女がシャツの袖で涙をぬぐっているのを見て、ぼくはおろしたてのハンカチを彼女のひざの上に置いた。

 彼女はちょっとびっくりしたように振り向いた。ぼくが頷くと、彼女も少しだけ頷いたような気がした。

 ぼくはそのまま電車を降りた。後ろでドアが閉まった。

.

 この話、悪友たちには絶対しない。どうせ「で、それからどうした?」と聞かれるに決まっているから。どうにもなりゃしません。それでお仕舞いだってば。どうして男も中年になるとロマンというものを解さなくなるのかね。

.

 考えたのですよ。女の子が人前で大粒の涙を隠せずに泣くような状態を。彼氏と別れ話でもあったのかな、とか。そうして羨ましかったのですよ。人前で泣けるということが。

.

 駅を降りてから、やっぱりハンカチがないと不便だと思い、コンビニで買ったら525円だった。これが自己満足の値段、ということです。

2008年11月18日 (火)

飲酒運転者はアル中

.

 16歳の新聞配達少年を、7キロも引きずって殺した飲酒運転者。報道では、飲酒運転の常習者だったようだ。

.

 最近、こうした卑劣な人間が増えている。飲酒運転の罰則が強化されたから「飲まない」のではなく、「飲んで事故ったら逃げる」人間が増えている。

 昔の人は、こういう行為を「犬畜生にも劣る」と言った。もっとも今なら、動物愛護協会から文句を言われそうだ。少なくとも動物は酒で事故を起こすことなどないから。

.

 はっきり書く。

 今の日本で飲酒運転をする人間は、立派なアルコール中毒だ。運転を続けるなら強制入院させて、酒を一生飲ませない措置が必要だ。

.

ぼく自身、久里浜アルコール症センターにはじめて行ったとき、いとも簡単に「あなたはアルコール依存症です」と宣言された。理由は「自分の意思で飲酒をやめられない」から。

誤解されているが、酒乱とアル中は違う。酒癖が悪くても(それはそれで問題だが)、今日は飲まないと自分で決めて飲まなければ、アル中ではない。アル中は二日酔いで今夜だけは飲まないと思っても、車を運転して帰らなければならない時でも、酒を飲んでしまう人のことを指す。

.

アル中になるのは勝手だが、人に迷惑をかけるな。逃げるな。

もとアル中からの警告である。

 

2008年11月12日 (水)

強欲資本主義の犠牲者たち

やっぱりなあ、と思った。

.

アメリカ発の経済不況で、マスコミはこぞって行き過ぎた自由主義経済の弊害を書き立てている。サブプライムローン問題をババ抜きのジョーカーやねずみ講にたとえたり、ウォール街に代表される証券市場を強欲資本主義と名づけたりしている。

.

何をいまさら、だ。

そんなの、日本の労働者は、ここ何年も、嫌と言うほど肌身で感じてきたのだから。

.

いつから日本の会社は、社会は、働く人にこれほど冷たくなったのだろう、と思い続けてきた。

生きにくい、という言葉が頭の中を頻繁によぎった。

金がすべての価値の基準となり、拝金主義や前年比経営が常識とされた。

.

心を病む人が増えた(ぼくもその一人だった)。自殺者が年間3万人を超え続けた。

どこかがおかしい、と多くの人が思っていた。 そうした疑問に心を動かされない人が有能とみなされ、勝ち組となっていった。

.

やっぱりなあ、と今思う。

ぼくらが狂っていたのではなく、時代が下品だったのだ。(戦時下の日本で、下品な愛国者が幅を利かせていたように。)

.

株価が下がっても、人が人として生きられる社会のほうが、ぼくには居心地がいい。

2008年11月 4日 (火)

アリとキリギリス

 小室哲哉さん、捕まってしまいましたね。

 報道によれば、たくさん稼いだけれど、それ以上にたくさんお金を使ったとか。

 キリギリスさんだったんですね。

 投資とかにイケイケで、今蒼褪めているだ人たちも、同じかな。

 ぼくも、アルコール依存症の最中は、キリギリスさんに憧れたものだ。パーッと散ってこそ男の道、なんてね。そして、実際にパーッと散っていった人たちをたくさん見てきた。

.

 今は、働くアリさん。

 ただ、アリさんの中にも、すごく働くアリさんが2割、ふつうのアリさんが6割、ダメアリさんが2割いるという。今ぼくはたぶん、普通のアリさんの、お尻から数えて2番目くらいかな。ちょうどいいポジションだと、自分では思っている。

 ただ、キリギリスさんたちにひとつだけお願い。

 寒い冬が来ておなかが空いても、アリさんを頼りにしないでね。アリさんは貴方たちの見えないところで、一生懸命働いてきて、冬を過ごそうとしているのだからね。

2008年10月28日 (火)

黄門様の印籠?

 これから年末を迎え、ますます飲み会が増える時期。(早い!)

.

 ぼくが断酒していることを知っている人たちとなら気楽だが、そうでない人とは、いろいろ攻防を繰り広げることも、ある。

.

 たいていは「飲めませんから」とだけ言ってさっさとウーロン茶を頼むのだが、中には「最初の一杯くらいいいじゃないですか」と迫ってくる人もいる。

.

 そういう人には「ドクターストップがかかっているので」と逃げる。それでも諦めない(?)場合に、やっとアルコール依存症のことを話す。話しても、「でも、これから一生飲めないっていう訳じゃないでしょう」と言い返される。『……一生飲めないんです』と心の中でつぶやくが、たいていは曖昧に笑って誤魔化す。まさか乾杯を前にして、延々と「アルコール依存症の傾向と対策」を語り始めるわけにはいきませんから、ね。

.

 

 で、最近使いだしたのが病院の受診証。

 〝久里浜アルコール症センター〟とくっきり印刷されているプラスチック製のカード。

 いつも定期入れにいれているこれを見せると、誰もがちょっとギョッとした顔をして、それ以上お酒を勧めなくなる。

.

 まさに黄門様の印籠なみの威力なのです。

.

 入院するときは、なにもわざわざアルコール症なんて病院名につけなくてもいいじゃないかと思ったものだが、今では逆に利用させてもらっています。

.

 先日も仕事関係の若い女性に、この印籠ならぬ受診証をお見せしたら、

「私、本物のアルコール依存症の人に、はじめてお会いしました」と、妙に関心をもたれてしまった。

 聞けば、中島らものファンなのだとか。『いや、依存症は過去のことでして……』とやはり心の中で思ったけど、サービス精神を発揮し、面白おかしく入院生活などを話しておきました。

.

 それにしても、飲み屋のウーロン茶って、どうしてあんなに少量で高価なんだ!?

2008年10月22日 (水)

「うちの会社」を封印

 最近、心がけていることがある。

 それは、自分が今勤務している会社を、どのような場面であれ、「うちの会社」とか「我が社」と呼ばないこと、だ。

.

 仲間うちの会話であれば「あの会社」、お得意先には「○○○○」という会社名を使うように意識している。これが案外難しいというか、つい「うちの会社」と言いそうになって、頭の中で変換作業を行なうことも度々ある。

.

 なぜそうしたか。端的に言ってしまえば、「あの会社」は、「ぼくが勤めている会社」であっても、「ぼくの会社」ではないことに気づいてしまったからだ。 あたりまえのことだが。

.

 この一年、職場の移転、リストラ、さらに先日は職場そのものの解体にまで話が進み、つくづく組織のあり方について考えさせられた。毎月ぼくの話を聞いてカウンセリングに当たってくれている久里浜アルコール症センターの担当Dr.が、「ずいぶん厳しい会社ですね。会社に対する怒りが外に向かうとアルコール、内に向かうと鬱が再発する恐れがあるので、充分気をつけて」とアドバイスしてくれるほどだ。

.

 若い頃は、仕事と自分がニア・イコール、つまりほとんど同化していた時期もあった。厳しかったが、会社や仕事にプライドを持っていた。 今、グローバリズムの名のもと、仕事は即お金の多寡でしか評価されなくなった。 そういう価値観に従順になれる人だけが、偉くなる仕組みになっている。 

.

 もう、いいや。

.

 ぼくはぼくの価値観で生きる。アル中にも鬱病にもならずにそれを通すひとつの象徴が、「うちの会社」という言葉の封印だったわけだ。(蛇足ながら、最近の企業は「顧客志向」「株主対策」という言葉はよく使うが、「従業員は家族」とは言わなくなった。経営者にとって従業員は経費としか見えていないのだ、と感じる昨今である)。

.

 先週末は宇都宮の姉の家に泊まり、日光中禅寺湖のほとりのベンチで2時間ほど、紅葉の下で昼寝をしてきた。

 やっぱり、フーテンの寅次郎が、いい。

2008年10月14日 (火)

哀しい・うしろ姿

 居酒屋の戸を開けると、一階のテーブル席で3人の男が、季節的にはちょっと早すぎる湯豆腐を囲んで一杯やっていた。

 会社の同僚の送別会を、その店の2階でやることになっていた鈴木弘は、一瞬呆然と入り口で立ち止まった。後ろ姿を見せている男の一人は、弘の上司だった。今日の送別会に来れないと言っていたが、真相は来たくない、というのを弘は知っていた。

 なぜなら、今日送別される人のリストラを先頭になって進めていたのがその男だったから。

 気づかないふりをして、弘は階段を上がった。逃げるなら、もうちょっとうまく逃げてくれよ。なにも今日、ここで飲まなくてもいいじゃないか。 おかげで、今日の乾杯はおれがやらなければならないのだ。 

 背中を丸めて湯豆腐をつつく男の後姿を、弘は哀しいな、と思った。自分の背中も、他人にはあんな風に見えているのだろうか。……それ以上の感想を抱くことは、あえて自分に禁じた。

 鈴木弘は断酒歴3年を数える。今日も当然アルコールは一滴も口にしない。

 でも、ずっと平坦な道のりだった訳ではない。今夜は早めに切り上げて帰ろう、と弘は階段を昇りながら思っていた。

 

 

 

 

2008年9月24日 (水)

ミニ・クーパーが面白い

 今回は車の話なので、興味がない方は読み飛ばしてください。

 8月30日にボディが赤、天井が白のミニ・クーパーが納車されて、3週間ちょっとの間に、1700キロ走りました。連休に京都への遠出で高速、比叡山越えなども試してみて、おもしろーい車だな~、とニヤケテいる最中です。

.

 前に乗っていたのが四駆軽自動車パジェロミニだったので、その対比が際立っているのでしょうが、高速安定性、コーナリングはかなり優れている。どちらも小さな車体だけど、片方は650CC、片方は1600CC。余力があるのは当たり前、ともいえますが、とにかく舗装道路でのミニ・クーパーは抜群に面白い。

.

 ぼくは本当に運転が下手なので、自動車を語る資格などまったくないのだけれど、それでも最初からオートマ車しか運転していない若い人に比べれば、まだ車の構造とかはわかっているかもしれない。なにしろマニュアル車しかなく、高速道路を走れば路肩にオーバーヒートしてボンネットを開けている車が見られた時代から、ですので。

.

 自動車歴は、家の車として最初に来たのがスバル360R。これは父が運転して、家族4人乗で箱根越えしたことも。自分で運転したのは、父の日産サニーというセダン。たぶん、1000CCくらいだったかな。以降、ぼくも就職して車にお金を回せる余裕が出てきて、父と共同出資で日産のセフィーロと、トヨタのプログレに乗りました。特にプログレはトヨタが「小さな高級車」として売り出しただけあって、乗り心地、運転音、安定性ともに素晴しかった。それが8年くらい前で、ぼくのイメージとしては、ガソリン車のメカニック的な進化はそのあたりで頂点を迎えた感じ。 これからは、いかに環境に優しい車か、という開発競争になるのでしょうね。

.

 で、父が亡くなり、鬱病とアルコール依存で入院し、断酒を決意して退院してきて、まず手がけたのが車の買い替え。なんでもいいから、形として過去に区切りをつけたかった。車というのは、そういう意味で、気分を変えるのにいいかな、と思ったのです。

. 

 今回、最初の車検前に買い換えたのも、ちょっとマンネリ化してきた日常に変化を与えたかったという理由が大きい。

加えて、酒呑みだった頃に比べ、運転が楽しくなってきた。二日酔いと運転というのは相性が悪かったですから。 断酒して、趣味にドライブが加わった。

 それと、自分のこれからの運転に残された時間を考えると、車でチャレンジするなら今のうちだな、という思いがあった。運転に限らず、ぼくは断酒以降、人生を逆算方式で考えるようになっている。 意外と飛ばせるミニ・クーパーを楽しむには、60歳を過ぎてからでは遅いのではないか。ならば今このタイミングだ、と。

 あと、助手席に女性を誘えるのはいつまでか、とか(こればっかり……)。

.

 パジェロミニの時は、経費面などでかなり合理的に選んだのだけれど、今回のミニ・クーパーは、ほとんど合理的理由が見当たらない(苦笑)。 国産車に比べれば購入価格からして割高。メンテだってディラーに持ち込むから、やはり割高。故障などのトラブルだって国産車よりは多いと聞くし、運転音も静かとはいえないし、ウインカーとワイパースイッチが逆なので、あわてるとワイパーが動いてしまうし……。

.

 でも、それらを補って余りある魅力が、ぼくには感じられた、ということです。

幸い、まわりからも「久里浜@には、プログレとかBMWとかよりMINIがお似合い」という評価を頂いているので(でもこれ、褒め言葉か?)、しばらく休日はドライブ、ということが続くと思います。

.

 担当Dr.も、「なにか楽しみがなけりゃ断酒続けていくの厳しいよね」と言ってくれたように、ぼくは、断酒後の人生を、苦行僧のように生きるつもりはさらさらありません。

.

 さて、じつはまだまだ秘密の楽しみが、自動車以外にも頭の中を渦巻いているのですが、今のところは、内緒、です。 

2008年9月18日 (木)

断酒記念日のこと

 先週の土曜日、9月13日、無事に3年目の断酒記念日を迎えることができた。

.

 今回は、新車のミニ・クーパーの初乗りをかねて京都に遠出していたので、記念日の昼は源義経が子供時代を過ごした鞍馬山に登り、夜は大原の温泉民宿で過ごした。とても健康的で印象に残る断酒記念日になったのだが、唯一残念だったのは夕食。安い民宿なので、食堂に野菜中心の寄せ鍋が各部屋分ごとにドンと置いてあるだけ。ひとりで寄せ鍋を食べる旅の宿、というのは、けっこうさみしいものがありました。(「京都~大原三千院~恋に疲れた女が一人~」というイメージで行ったけど、寄せ鍋の孤食じゃあ、色気も何もありゃしない……)。

.

  閑話休題。

  ぼくは断酒記念日を、久里浜アルコール症センターに転院する前、鬱病で入院していた順天堂病院メンタル科のベッドの上で決めた。

  きっかけは、脳のCTスキャン写真だった。頭の断面写真を見せながら担当医師が言った言葉は、「脳の萎縮が認められます。おそらく、アルコールの影響でしょう」というもの。

  示された部位には、確かに隙間が広がっていた。 それ以前から、肝臓の値が異常値を示していたこともあり、専門の機関に入ってアルコールをやめないと、鬱病もいずれ再発しますよ、とは言われていた。

  でも、高をくくっていたところがあった。

. 

   ショックだった。 何日か悩み、決心した。専門機関に行って、もう一生酒は飲まないことを。

  夜の当直で検温に来た、お気に入りの看護婦さんにその旨を宣言し、指切りをしてもらった。それが2005年9月13日、ぼくの断酒記念日となった。

.

   久里浜アルコール症センターで色々な患者さんと接して、入院のきっかけが、断酒へのモチベーションと強い関係があると、今になって思えてくる。

 自分でこれでは人生終わると覚悟して来た人と、家人に半ば強制的に連れてこられた人とでは、入院中でも明らかな違いがあったように思う。

  .

   たとえば、半ば強制的に連れてこられたような人は、何かの隙を見つけては酒を飲もうとする。外泊が許されるようになれば、いかに隠れて酒を飲んできたかを自慢げに語る。

.

   前回このブログで、断酒後の再飲酒率が高いと書いたが、それは、こうした人も含めた数字なのだ。治る病気でも、自ら治す意思がなければ、治るものではない。逆を言えば、当人が心から酒をやめたいと決心したなら、そこから断酒の世界は広がっていく。

.

  ぼくなりの経験では、断酒記念日は設けた方がいいと思う。それは最後に酒を飲んだ日でも、断酒を決心した日でも、施設を退院した日でもいい。

.

  あと何回の断酒記念日を迎えることができるか。

  そのことに思い至るとき、自分が失ったものの大きさと、人生の一回性に人は気づく。

  そして、やり直しできないのは酒だけではないことにも。

.

  何気ない毎日の暮らしも、実はやり直しできないことの連続なのだ。それに気づくかどうかで、残された日々の味わいは、微妙に変わっていくような気がする。

2008年9月 5日 (金)

寅さんのように生きたい

 福田さん、どうしちゃったんでしょうねぇ? 政治的な駆け引きとか、客観的に見て自分では選挙は戦えないと判断したとか、色々あるんでしょうが、安部さんに続いて一国の首相が2人も仕事を投げ出しちゃったんですから。なんだかなぁ……。

.

 ぼくの部下も今月一人リストラで辞めていく。こういうことがあると、職場から笑顔が消えてしまう。 冬のボーナスは凍えるほど厳しいという噂もあるし、こちらも、なんだかなぁ、です。

.

 でも、社会や会社に悪態ついても、自分の心が晴れるわけではない。

 そこで今日は、ぼくの夢、について語ります。

.

 それはズバリ、「寅さんのように生きたい」ということ。

 そう、山田洋次監督の「男はつらいよシリーズ」の車寅次郎、フーテンの寅さんのように、です。

.

 寅さんはテキ屋というか香具師というか、各地の縁日で怪しげなものを売っては日銭を稼ぎ、日本全国を旅する身。なぜか年に二回(映画公開の都合上)マドンナと旅先で出会い、「東京に行ったら柴又のダンゴ屋で俺の名前を出しな」と言って別れる。そして勘違いの恋愛をし、心の傷をかかえてまた旅に出る。 でも、いつしか、柴又にも帰ってこなくなる。叔父伯母や妹夫婦は「いまごろ何処をほっつき歩いているのかねえ」などと時折噂話をするが、やがて忘れさられていく。

.

 そんな生き方に憧れるんですわ(笑)。 で、実際に境遇も姉夫婦と叔父伯母くらいしか係累ないし、勘違いしちゃうところも、惚れっぽいところも似ているし。

 うつ病から回復して以来、実は自分がどんどん「寅さん化」しているような気分にさえなる、今日この頃なのです。

.

 人は結局、その人の生きたいように生きる。

 ならばぼくは、旅して恋して、いつかそのまま世間からフェードアウトしていきたい。

 これが究極の夢なんです。旅の青い空を仰いでいる自分を想像すると、いつも気分がほっとなる。

 ということで、待望のニューカーも来たことだし、来週の連休はまた旅に出るつもりです。ついこの間北海道に行ったばかりなのに、だんだん旅へのサイクルが短くなっていく。

 めざすは寅さんか、山頭火か、西行か。

.

 やっぱり、寅さんが似合っていそうだな~。

.

.

.

.

.

.

.

.

2008年8月22日 (金)

リストラとアル中

 ぼくが現在勤めている会社は、業界全体が落ち込んでいることもあり、赤字ではないがここ数年マイナス成長を続けている。

.

 当然合理化が急務となっていて、昨年に引き続き、つい先日も希望退職という名のリストラがあったばかりだ。

.

 ぼくも上司と面接をし、希望退職した際に受け取れる退職金や割増金を具体的に示された。退職金は思ったより少なく、割増金は思ったより多く、実に悩ましい選択だったのだが、結局今回は見送ることにした。さいわいそれ以上しつこく口説かれることはなかったが、中には面接が数回に及び、「人格を否定された」発言に退職を決めた人もいたようだ。

.

 ぼくが割増金をけっても居続けようとする第一の理由は、生涯賃金を考えて。仮に今割増金をもらって転職しても、今以上の年収を得られるほどの資格も能力もない。これは多くの人に指摘された。

.

 第二の理由、実はこれが重要なのだが、鬱や断酒にとって、環境の変化は大敵だという主治医の指摘。そして、自分で思っているだけかもしれないが、アル中だったという過去は、転職にとってかなり厳しい烙印になるだろう、ということだった。

.

 ぼくは希望退職の面接の際に言われた。「一度ついたレッテルは、簡単には消えないよ」と。

 上司は、だからこの会社にこれ以上いても、もう上は狙えないのだから、別の会社で勝負してみたらという意味で言ったのだが、ぼくにすれば、この会社でなら、もと鬱病でアル中というレッテルはすでに認識されている分だけ、まだ気が楽なのだ。

.

 鬱から断酒にいたるまで、今いる会社の多くの人に助けてもらい、またぼくの努力を認めてもらってきた。 この関係を新しい環境で、あらたに構築するのは、正直言ってしんどい。 残って仕事量が増えても、この状況は変えたくないな、と思った。

.

 ぼくは変化を嫌う者ではない。良くも悪くも諸行無常、流れる川の小石のように生きたいと思っている。 ただ、底を味わうのは一度でいい。

.

 アル中の社会復帰には、未だに偏見が付きまとう。それを変えていくのが、ぼくのライフワークになるかもしれない、と思うこともある。

2008年8月10日 (日)

ミニ・クーパー デビュー間近

 車を買い替えることにした。アル中との決別以来愛用してきたパジェロミニが、来年車検になる。この車は中古車市場での人気が高く、車検前で事故歴がなければ、新車時の5掛け以上で下取りしてくれる。

.

 軽自動車だが二人で乗るには充分な室内環境だし、四駆で面白い車なのだが、やはり軽という制約上、高速や長距離ではかなり神経を使った。夏のクーラーもなかなか効いてくれない。この夏、北海道旅行で1300ccクラスの普通車をレンタカーで使ってみて、長距離でも疲れなかったので、車検前に買い換えよう、と決断した次第だ。

.

 で、以前からいろいろな車を物色してはいたのだが、国産車には個性的な小型車が少ない。いろいろと試乗したりして、ミニ・クーパーに決め、今日契約書に判を押してきた。

.

ミニといえば、ちょっと前では「ルパン三世」によく登場していたイギリス車。現在販売されているミニは、ドイツのBMWに買収されまったく新しく設計されたものだが、そのコンセプトは継承されている。小さくてかわいく、乗っていて面白い、というところだ。

.

 メーカーが夏休みに入るので、納車は早くて8月末になるが、今から楽しみだ。たしかに国産車に比べ価格は若干高めだが、一生酒を飲まない代わりの贅沢だと、自分にも周囲にも言い訳している。 実際、断酒してから、車でふらりと旅に出るというのが、ぼくの新たな楽しみになっているし。

.

 ただ、誤算がひとつ。下取り価格を差し引けば、国産の小型車と同額くらいの出費で済むなと計算していたのだが、宇都宮に住む姉の軽自動車が12年目を迎え、新車購入の話をしたら、「じゃあ、お前のパジェロミニ、わたしのと交換して」と切り出されてしまった。姉には鬱病からアル中治療時期まで、ひとかたならない世話になっている。姉は軽自動車の下取り価格などどれでも同じだと思っているようで、まったく悪びれた様子はない。ぼくは電話口で一瞬固まったが、「いいよ、あげるよ」と答えていた。 いい人をやめることは、存外むずかしいものだ。嗚呼。

.

 でも考えようによっては、結果オーライかも知れない。今ぼくの勤務する会社は業績が悪化していて、希望退職をつのっている。鬱の頃は今の会社を辞めたくて仕方なかったし、今でもそんな制度を提示されると心が動いたりする。 それでも素面になってみると、辛抱して働き続けることも大切なんじゃないか、という思いを抱くようにもなっていて、ちょっと揺れていた。

.

 そんなとき、思わぬ出費が発生した。通帳の残高が寂しくなった。

 いいさ。金は天下のまわりもの。元気なうちは、使って、また稼げばいい。

 密かに抱いていた若隠居計画は、すこし後ろ倒しになりそうな雲行きだ。

.

 なお、ミニ・クーパー(それも赤の)にしたなどというと、助手席に女性を誘いやすいからだろう、と勘繰る悪友が必ず出てくると思うが、それは断じて違う。違うと思う。違うんじゃないかな……。 

2008年7月27日 (日)

酒なしの旅もいいものだ

 少し早めに夏休みをとって、旅行に行ってきました。5泊6日で北海道の北半分、海岸線でいうと留萌から日本海沿いを稚内まで上がり、利尻・礼文島に渡って、さらにオホーツク海沿いを東に走り知床半島を巡り、摩周湖などに寄り帰ってきたというコース。レンタカーの一人旅だからできたことで、もし連れがいたら、こんな走ってばかりの旅行なんか嫌だと喧嘩になっていたこと必須のスケジュールでした。

.

 ただ、決して無理なスケジューリングではなく、一応宿泊先だけは決めて、あとは気の向いたところで車を停め、写真を撮ったりして、車も決して飛ばさず(除く:最終日の空港への帰り道)、秘湯があれば入って、まさに日常を離れた旅になりました。

.

 旅行に関していえば、断酒とのからみで、手探りでやっとここまで来た、という感じです。なにより、旅館や民宿の夕食というのはおかずの品数が多く、ビールの1本も飲みたくなるもの。 そこで、久里浜を退院した年にまず伊豆の下田で夕食なしホテルで一泊して様子を見て、翌年は奈良の2泊でやはり夕食なしホテル、そして今年はそろそろ大丈夫だろうと、冬に島根の旅館へ、そして今回は旅館、民宿、ホテルと混合スタイルでやってみました。

.

 もう、酒なし旅も大丈夫みたいです。下(シモ)の話で恐縮ですが、酒を飲んでいた頃は、旅にはいつも下痢止めの薬が必需品でした。酒飲みの人ならわかると思いますが、大量の酒を飲んだ翌日はどうしても腹がゆるくなりがち。これが旅先だったりすると、けっこうひっ迫した事態になったりする。まず、それがなくなりました。

 あと、当然二日酔いとも無縁だから、朝早くからの活動が可能になる。以前は、宿の朝食をとるのも辛くなるくらい、旅先で飲んでいましたから。

.

 で。一人旅でさみしくないのか、ともよく聞かれるのですが。そりゃあ、さみしい。でも、このさみしさが、ぼくは一人旅の醍醐味だとも思っています。

 まず、宿の夜は知り合いにメールしたり、絵葉書を書いたり。 読書もはかどる。

 そして、今回の北海道旅行では、時期をずらしたせいか景勝地でも旅行客がまだ少なく、また土地柄か単独行のライダーも多く、ぼくとしては意外なほど旅先で見ず知らずの人と話すことができました。

.

 最北端の宗谷岬では、チャリダー(ライダーに対して、自転車乗りをこう呼んでいた。なんだかママチャリみたいだな)の青年と写真をお互いに撮ったり、知床半島の先の、海に面した秘湯では山形から来たライダーと仲良くなったり。とにかく今回は、いつになく自分が写った記念写真が多く残った。それだけ、誰かに撮ってもらうことが多かった、ということでしょう。

.

 なかでも最高に嬉しそうな顔をしているのは知床遊覧船の上で。なぜかデッキで隣り合わせた美しい女性と話す機会を得て、お互いの写真を撮りあいました。3枚も……。なんだ、高尚なことを言っていても最後の楽しみはそこか、と言われれば、返す言葉はありませんです、はい。

.

 旅の詳細は、機会がありましたら、また。

2008年7月11日 (金)

笑顔地蔵

 えーと、このブログではまだ画像をアップしたことがありません。

 やり方がよくわからん。

 そこで挑戦してみます。モデルは、久里浜入院時代、作業療法の時間に作ったお地蔵様。

P1000286_5 お地蔵さんが笑っているのと、手があるの、わかりますか?

 これ一体作るのに、週4時間で4週間くらいかかっています。労作なんです。見た目は地味ですが。

 では、とりあえずアップしてみます。エイっ! 

2008年7月 1日 (火)

自殺の誘惑に負けないで

 電車の中刷り広告の見出しに目がとまった。

 今週号の「読売ウィークリー」で、「思いとどまれ『うつ自殺』」というルポが掲載されていたのだ。

 ぼくは、夏のある光景を思い出していた。

.

 

 職場を離れ、その日ぼくはふらふらと、勤務する8階建てビルの屋上に通じる階段を上がっていた。屋上には2メートルほどのフェンスが張り巡らされていたが、金網だからよじ登ることはできるだろう。重い金属製の扉を開けると、夏の陽射しが照りつけてきた。 ベンチに女子社員がひとり座って休憩時間でもないのに煙草を吸っていて、ぼくと目が合うとばつが悪そうに立ち去っていった。ぼくはそれではっと我にかえった。自分は何をしようとしてここにいるのか、考えると、握り締めた手のひらに汗があふれ出した。夏の光が、やけに眩しかったことだけが印象に残っている。

.

 5年前、最初のうつ病で入院する直前のことだ。そのあとで、上司に付き添われて順天堂病院の精神科外来を受診し、即入院となった。自殺願望あり、というのが緊急入院の理由のひとつだった。

.

 自殺する人の気持ちがわからない、という人は多い。その一方で、リストカットなどの自傷行為をする人も多数いるという。ぼくなりの直感で言えば、人間には「死」に近い人と、そうでない人がいるような気がする。近い人がうつ病などにかかると、それが自殺願望につながる。そういうことではないだろうか。

.

 当時の心理状態を思い返すと、とにかく逃げたい、というものだった。何からどう逃げる、という具体的なものではなく、とにかく今自分にかかっているプレッシャーや、どうにもならない苦しい気分から逃れたい、というものだった。理屈ではなかった。理屈で考えれば、当時のぼくは、死ぬほど追い詰められていたわけではなかったのだから。

.

 日本の年間自殺者数はここ何年も3万人を越えている。あのベトナム戦争で、15年間にわたるアメリカ兵の戦死者が5万1千人という。これはもう、戦争と何ら変わらない、いやそれ以上の異常事態といえないだろうか。

.

 ひとことだけアドバイスするとしたら。明けない夜がないように、やまない雨がないように、鬱も、自殺願望も、やがてなくなる時が来る。人は、基本的には、生きるようにできているものだからだ。

.

 どうか、それが誰であっても、自殺の誘惑に、負けないでください。

2008年6月18日 (水)

空即是色 花ざかり

.

 うつ病で悩んでいた頃、わらにもすがる思いで、般若心経を覚えたことがある。

 観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 ではじまる、262文字の短いお経だ。

 般若心経には有名な 「色即是空 空即是色」という言葉がある。色即是空は、ぼくなりの解釈でいえば「諸行無常」。形あるものはすべて無になる。生まれたものはやがて死する。

これはなんとなくわかる気がした。冷酷ともいえるが、たぶん、現実はそうなのであろう、と。  これは後の話になるが、久里浜アルコール症センターの病室は、それこそ諸行無常の見本市みたいだったし。

  わからなかったのは、「空即是色」の部分だ。死はすなわち生でもある? なんだかとてつもなく深いことを言っているように思えるのだが、いまだにわからない。

わからないのだが、先日ある本を読んでいて、僧侶で仏画家でもある荒了寛さんの

「空即是色 花ざかり」

という言葉を知り、なにかがストンと腑に落ちた気がした。

この世は諸行無常である。それはその通りなのだが、さらに突き抜けると、花ざかりになる。人生を一回性のものとして儚んで終えるか、その先の(あるいは一瞬の中の)永遠性を信じるか。ぼくは今、後者を信じて生きてみたい。流行のスピチュアルとはたぶんまったく違った意味で、だが。

般若心経は一時期暗誦できるまでいったのだが、いまは書いたものを見なければ最後まで唱えられない。でも、鬱にあがき苦しんでいたころ出会ったものは、何かしらの血肉になっているような気がする。

.

酒抜きでも、こんなことを考えていると、人生案外退屈しないものなのだ。

 

.

.

.

..

.

2008年6月10日 (火)

酒税を10倍に

 タバコの税金を上げて、1箱1000円くらいにしようという動きが一部にあるらしい。個人的にはおおいに賛成だ。なにしろ禁煙歴18年。タバコの値段が上がろうと痛くも痒くもない。

.

 ここでぼくは、もう一歩踏み込んで提唱したい。

.

 一緒に、酒税も上げてしまいましょう。ワンカップ1個1000円になるくらいに。

.

 まあ、今思いついたことなので、具体化するとなると問題点も一杯あるでしょう。庶民の唯一の息抜きを奪うのか、という声など絶対に出てきそう。

 でも。簡単にアルコール類を入手できる環境が、飲酒運転につながっている。依存症につながっている。さまざまな家庭破壊につながっている。これもまた、事実ではある。

.

 そこで、さらに提案。カードを使ったスライド方式酒税、というのはどうか?

 まず、酒を購入する国民一人一人に、酒類購入管理カードを作って渡す。で、自販機に限らず、酒屋でもコンビにでも、このカードがないと酒類が買えないように制度化する。買うだけでなく、バーなどで飲むときも、このカードがないと飲ませないようにする。

 カードには、まず、現在の酒税で飲める量がインプットされている。健康を害さない程度ということで、一日日本酒二合くらいが目安か。これを越えると、酒税が増え、酒の値段が段階的に上がっていく、という仕組み。具体的には、月に日本酒換算6升分とか、ある程度まとまった単位で運営するのがいいだろう。

.

 行き過ぎるとアメリカの禁酒法みたいになってしまうが、現在のIT技術をもってすれば、個人単位で酒税を変えることは可能なはず。考えているうちに、けっこう本気になってきたぞ~。

.

 本当は、自己管理が基本だっていうことはわかっているんですが……タバコ増税論議にひっかけて、ちょっと思考実験してみました。

2008年6月 1日 (日)

仕事うっちゃるの、やめました

 前回、「仕事のうっちゃり方」というタイトルを考えつきながら挫折してしまいました。今日はその続編を。

.

 毎年この時期の4週間くらい大きなイベントがあり、かなり忙しくなります。ここで仕事の具体的なことを書いても面白くないので割愛しますが、今年はさらに人員や経費の削減など合理化や、目標値のMI (ミッション・インポッシブル=実現不可能な指令)化などで、例年になく厳しい仕事環境におかれています。

.

 担当Dr.からも、仕事からは一定の距離をとるように、とアドバイスされており、さて、この局面で、いかに「仕事をうっちゃる」か、思案していたという次第です。

.

 たしかに、ぼくの鬱病およびアルコール依存症の発病は、仕事に大きく関係していました。当時のぼくは、とにかく会社に行きたくなかった。酒を飲んで酔っている時が唯一のやすらぎで、朝はぎりぎりまでベッドにもぐりこみ、抗鬱剤を飲んで、背中を丸めながら何とか出社していました。

.

 記憶をふりかえると、そんな時期が5年くらい続いていました。

.

 でも、さらに思い出してみると、むかしは仕事に燃えていた時期がけっこう長くあった。そして今、断酒してとりあえず鬱から解放されてみると、何だかんだ不満を言いながら、仕事を楽しんでいる自分がいる。そのことが見えてきた。

.

 もちろん油断しているわけではない。仕事との距離感を誤ったら、また仕事につぶされるだろう。つねにそのことは意識していなければならない。

 でも、断酒してから、仕事に対する何かが、変わってきたかな、と今回の忙しさの中で思い始めたのです。

.

 なにより、久里浜アルコール症センターで一緒に闘病していた仲間の中には、すでに定職を失っていた人が少なからずいた。それに比べたら、なんと自分は恵まれていることか。

 あと、鬱病ではもはやないとの自己暗示が効いているのか、今の自分は見知らぬ人と話すのが苦痛でなくなってきている。ときには、楽しんでさえいる。

.

 ぼくが鬱病になった原因もそうですが、勤め人といえども一人の人間です。自分の仕事が人びとの、あるいは社会の役に少しでも貢献していると実感できれば、ある程度の苦労は辛抱できる。でも今の日本は、成果主義とかの名のもと、「お客様は神様です」とか言いながら、実は内向きの仕事に追われている。管理職なんて、顧客の顔を見ているより、上層部に提出する書類を作るため、パソコンの画面を見ている時間の方が長かったりする。これって、当の企業にとっても自殺行為なのに、なんでわからないのかなあ?

.

 というわけで、のこり一週間、目の前のお客様の「ありがとう」を励みに、まともに仕事に取り組んでみるつもり。

.

 でも、これがおわったら、休暇をとって目一杯遊ぶぞ~!!

2008年5月25日 (日)

仕事のうっちゃり方 (まえがき)

 仕事のうっちゃり方。

 タイトルだけは決めて、パソコンの前に向かったが、一行も書けない。

 実のところ、いま、仕事がかなり忙しい。さいわい以前のように一人で抱え込むことはしないので、鬱再発の気配はないが、余裕はあまり、ない。

 ブログもそろそろ更新したい時期なんだけど……ぼくが教えて欲しくなってしまった。仕事のうっちゃり方を。というわけで、今回は (まえがき) ということで。

 これじゃあ、ブログのうっちゃり方、ですね……。

2008年5月14日 (水)

「いい人」なんてクソくらえ

 いきなり下品なタイトルで恐縮だが、これは鬱防止のひとつのキーワードだと思う。

 

自分で書くのも何なのだが(ほんとーに何なのだが)、昔から割と「いい人」に見られる傾向があったらしい。(もちろんそう思っていない人も山のようにいるのは承知の上で書く)。

 後輩の女性から「送ってもらっても心配ない人」と見られていたことが数年前同好会のOB会で判明した。それって安全パイというか、男性としてどーなのかと内心忸怩たるものがあるのだが。(その上、「いい人」の頭に「どうでも」とつけられていたら目も当てられない……)。

 それはさておき、鬱病になって、いろいろな本を読んだりすると、「いい人」に見られる、あるいは見られたがる性格というのは、かなり問題があるらしいことがわかってきた。

多くの人が説く。「もっといい加減に生きなさい」と。

 それでぼくなりに、なんとか「いい(さじ)加減で」やっていこうと心がけるようにしてみた。

「好きな人とだけ会う」こと。それがムリな場合でも「嫌いな人に同調しない」こと。「人に意見をしない」こと。「人の批判を真に受けない」こと。「金に無関心ではない」こと。されど「必要以上の金に拘泥しない」こと。「情に流されない」こと。「情で動く」こと。などなど……。

いくらか功を奏したのか、以前に比べると少しは生きやすくなった気がする。こういうのを認知療法と呼ぶのだろうか。

それでも煩悩は次々と湧いてくる。

自分のこと。まわりの人びとのこと。生きていれば当然か。

心が揺れる。未だに、ぐらぐらと揺れる。思考回路がショートする。

ふと気がつくと、ひとりボーっと天井を見ていたりする。

でもそれは、乾いて固まっていた心が潤い若返っていくような快感も伴っている。

 誰かが書いていた。中道を行くというのは、道の真ん中を常にまっすぐ歩くのではなく、右に振れ、左に振れしながら、結果としてまっとうな道を歩むことなのだ、と。

 心の持ち様も、断酒も、揺れるのは生きているしるし。一休禅師とか、良寛さんとかは、はたから見ればかなり「いい加減」に見える人だっただろうと想像する。

 もっとも、まだ坊さんになるつもりは、ありませんが。

.

.

.

.

.

2008年5月 9日 (金)

拝啓 作業療法士の研修生君

 今日は金曜日だが、休暇をとって久里浜アルコール症センターに通院してきた。

.  そこで、作業療法士の研修に来ている男子学生とお茶をする機会があり、このブログの名刺を渡しておいた。今回は趣向を変えて、彼に向かって書いてみようと思う。

.

 ぼくは2年半前、鬱病とアルコール依存症を併発し、久里浜アルコール症センターに入院した。それまでにも鬱病で他の病院に2度入院したが、なかなか治らなかった。会社を辞めることも、自殺することも考えた。ぎりぎり人生の瀬戸際だった。

. 結論から言うと、なんとか断酒2年目を過ぎ、3年目を目指している。鬱病もよくなった。作業棟で会ったぼくの顔を覚えているかい? たぶん健康そうで、陽気なおじさんに見えたんじゃないかな。

 ぼくを救ってくれたのは久里浜のスタッフの人たちだ。だからぼくは自分のハンドルネームを「久里浜@」にしている。

.

 都会の大病院の精神科では、2時間待ちの3分診療というのが実態だった。でもここ久里浜では、ぼくの話を聞いてくれる。担当Dr.はこのブログも時々読んでくれているらしい。「患者さんと話す時間が短いので、なるべく患者さんのブログとかは見るようにしているのですよ」と言うが、医師の仕事は激務だ。なかなか出来ることではない。

 看護師さんたちも、半分以上は出戻ってしまう依存症患者に、忍耐強く接してくれる。ここの看護師さんはいい意味で患者に厳しい。外泊した後のアルコールチェックの徹底ぶりなど、警察官に見習わせたいほどだ。(ぼくはニンニク入りのラーメンを食べてきて「紛らわしいことするんじゃないの」と怒られた。いい思い出だ)。

 そして作業療法士さん。さいわいぼくが入院していたときのスタッフがまだ2人いるので、ぼくは診察が終わるとよく作業棟に顔を出す。この仕事は、医師や看護師のように直接命に関わることは少ないかもしれないが、患者の社会復帰を支えてくれている。作業棟で少しの間、療法士さんの仕事を見ながらボーっとしている時間が、ぼくは好きだ。

.

 断酒には3原則があって、抗酒剤、断酒会、通院が必要だと教えられた。 抗酒剤は半年続け、今はとりあえず様子見。断酒会は時間の調整がつかないので、ブログを書くことで「一人断酒会」と称している。(前回このブログに、未だに酒を飲む夢を見ると書いたら、ハンドルネーム「しんこま」さんから、久里浜には何度か入退院をし、今も鬱とパニック障害と闘っているというコメントをいただいた。誰も見ていないかもしれないが、誰かが見ているかもしれない。ぼくにはこの塩梅が合っているようだ)。

 通院は、ぼくにとって単に診察の効果だけではない。多くの日本の会社員にとって、月一回の有給休暇をとるのも実は難しいのだが、この平日の休みがゆとりを生み出す。心だって勤続疲労を起こすのだ。だからぼくにとっては貴重な一日。

.

 ぼくが来月通院するときにはもう研修は終わっていると言っていたね。ぜひ、いい療法士になって、ひとりでも多くの人を社会復帰させて欲しい。

 人から感謝される仕事というのは、そうあるものじゃないからね。

 では、グッドラック! 

2008年5月 1日 (木)

酒が夢に出てくるのは?

 このところ2日連続で酒に関する夢を見た。もっとも、酒の夢だけというわけではなく、他に強烈な印象の夢を見たので、目覚めてから反芻していたら、芋づる式にその夜見た夢を思い出し、その中に酒の夢もあったのに気づいたのだ。

.

 夢のひとつは、スポンサー付きで保養地に長逗留していて、そのスポンサーにワンカップを勧められて飲んでしまってから、自分が断酒中だったことを思い出し、次は断ろうとしているもの。

.

 夢のもうひとつは、飲み会の会場で手持ちぶさたになり、目の前にあった缶ビールに手が伸びるが、かろうじてウーロン茶を探しにかかる、というもの。

.

 表面上はもう断酒など何でもないという顔をし、実際自分でもそれほど葛藤はなくなったと思っていたのだが。夢が自分の無意識の現われだとするなら、内なる自分はまだ酒の誘惑と戦っているのだろう。意外なことだった。

.

 二年半に及んでいる断酒の話をすると、褒めてくださる方がいる。自分ではことさら努力したつもりもないのだが、たぶん思い出せない夢の記憶には、酒との葛藤がたくさん刻まれているのだろう。あるいは、断酒はかなりの綱渡りで今ももっているのかもしれない。そう考えると、自分もちょっとは頑張っているかな、という気になってくるのだ。

.

 「うつ」に関しては、未だに自分でコントロールするすべを見つけ出せていない。重度の鬱病はとりあえず脱出したようだが、不定愁訴のようなときおり訪れる憂鬱感は、原因不明に起きることも多い。これはどうも無意識の領域に問題があるような気がしているのだ。無意識とどう折り合いをつけるか、これはある種宗教的な問題もはらんできそうで、それを無我の境地とかいうのかも知れない。いや、話が大きくなりすぎました。

.

 夢なら、目覚めればなかったことにできる。怖いのは、目覚めたら実際に飲んでいたという事態。よーく、自分の無意識にも言い聞かせておこう。上機嫌に生きること、そしてノーモア・アルコール、と。

 .

 えっ?強烈な印象の夢って何だって? それは、倫理上、口が裂けても言えませんです。はい。

 

2008年4月19日 (土)

ノンアルコール花見 in USA

 朝、出勤前に見ていたNHKニュースで、有働由美子アナウンサーが米国ニューヨーク州の花見をレポートしていた。

.

 ニューヨーク州郊外の公園では、日本と同様に今がソメイヨシノの見頃。画面にはキャンピング用の椅子とテーブルに家族が集い、料理と飲み物が用意された様子が映っている。基本は家族単位で、会社の宴会はないという。

.

 料理は市販のピザとサンドイッチ。どれもビッグサイズで、アメリカはいろんな意味で大雑把というか、消費大国なんだなと妙な感心の仕方をした。まあ、日本も最近ではお花見の場所まで届けてくれるピザ屋さんもあるというし、似たようなものか。

.

 有働アナがここでクエスチョン。

「さて、アメリカでのお花見は、日本のとは大きく違うことがあります。それは何でしょうか?」

.

 カメラが家族たちの手元をアップにする。それぞれに、缶飲料を持っている。

.

「はい、答えは、皆さん飲んでいるのがノンアルコール飲料なんですね」

.

 合衆国全体か、ニューヨーク州の法律かは聞きそびれたが、公共の公園など屋外でアルコール類を飲むのは禁止されているそうだ。

 ふりかえって日本では、花見といえば酒がつきもの。会社の花見では、新入社員がイッキ飲みを強要されていたりする。

 タバコについては日本でも、自治体によっては路上禁煙を法律化しているところが増えてきた。

.

 さて、我が愛しくも憎らしい酒どもを、公共の場で全面禁止にする自治体が出てきてくれないか。

.

 生涯断酒の身としては、そんな妄想がふと頭をよぎった朝だった。

2008年4月 7日 (月)

千鳥が淵のサクラ

.

 昨日の日曜日は、昼間の花見と洒落込んだ。

 市ヶ谷で待ち合わせ、ぶらりと歩いていると途中に靖国神社があったので立ち寄る。ここもサクラの名所で、敷地内での宴会は禁止されているが、短い参道に屋台が並び、焼き鳥や酒の臭いが鼻をくすぐる。

 以前のぼくだったら、ここで一杯やり始め、そのうち「千鳥が淵まで行かなくてもここのサクラで充分さ」と腰を落ち着けていただろうな、と思うとおかしかった。断酒も2年半になると、飲酒欲求はほとんど起こらない。もちろん、断酒初期の人にこういう場所はおススメできないし、自分自身も油断(酒断?)大敵なのだが。

.

 千鳥が淵のサクラは、よくぞもってくれましたとばかりに、さいごの見頃だった。今年は開花が早く心配していたのだが、お堀に花びらが浮き、その間を手漕ぎのボートが進んでいく。

.

 すれ違った若い二人連れの男性の方が、女性の髪にかかったサクラの花を取ってあげている。彼がいつかサクラを見て、この瞬間を思い出すことがあるのだろうかと想像する。

.

 途中、長い人の列を見つける。お堀のボートの順番を待っているようだ。たしかにこの日のボートはいい思い出になるだろうが、一片のサクラの花びらも、人によっては同じような重さの思い出になるのに。 

.

 ある本に書かれていた。「連休のディズニーランドに行って、なんでこんなに混んでいるんだと憤慨する。そんな生き方の日本人が多すぎるのでは」と。

.

 人生には何度もシャッターチャンスがある。自分だけの記憶のアルバムをいかに作っていけるかが大切なのかな、と春の陽射しの中でふと考えていた。

2008年4月 1日 (火)

他人事

 友人から聞いた、最近の労働現場を象徴するような話があったので、そのやりとりを再現してみます。

.

友人「いやー、この間、出勤しているのに欠勤扱いにされちゃったよ」

ぼく「なんだよ、それ?」

友人「うちの会社、完全週休二日じゃなくて、ローテーションで土曜も営業しているんだ。で、人事課から連絡があって、あなたは土曜日の出勤が一日不足していますって」

ぼく「そんなの、調べればわかるだろう」

友人「そう、調べたら、去年の9月の土曜日、俺のローテーションの日に出勤カードをスキャンしていないことがわかった。その日は大きないイベントがあって、俺が仕切っていたから、忙しくて忘れちゃったらしい。もちろん出勤していた証明はいくらでもできるんだけど」

ぼく「けど?」

友人「カードでコンピュータに記録されていないのは、どんなに人間が証明できても、紙で証拠が残っていても訂正できないんだって。このままだと欠勤になるので、穴埋めするため今から休暇届け出してくださいって」

ぼく「なんだか、年金のお役所みたいだね」

友人「土休は特別なプログラムだからもう変更できません、という説明だったけど、なんだかすっきりしなくてね」

ぼく「まあ、君の会社は人数多いから、仕方ないような気もするけど。別にいいじゃない、些細なことだ」

友人「気楽だね、仕事から半歩降りた人間は。俺にとって会社は、人生そのものだからさ」

ぼく「大げさだよ。そんなに入れ込むと、鬱病になっちゃうぜ。あのさ、一文字、頭にくっつけてみな。《他》という字を、その連絡してきた部署に」

友人「他人事・か……うまいね! 座布団一枚!」

.

 今日は4月1日。エイプリルフールだから、あまり真に受けないでくださいね。真に受けて考えると、お酒飲みたくなっちゃいますから……。えっ?誰がって? そりゃあ、友人が……。

2008年3月26日 (水)

季節の変わり目

 サクラの花もひらきはじめ、薄手のコートを脱ごうか迷っている今日この頃。

 春の到来。気分いいですね。

.

 ところが、春というのは、意外と鬱病にかかる人が多い季節だといいます。

 別れと出会い、生活環境の変化などがその要因ではないかと言われています。そうそう、5月病という言葉もありますし。

.

 人は別れの数だけ強くなり、かなしみの数だけやさしくなれる。

 ならばぼくは、もうずいぶん強く、やさしくなったはずなのに。

 別れた人の残像に、ふと弱音をつぶやいてみる。

季節と季節のはざまで……。

.

 えーと、上記のようなメランコリーに陥りかけたときは、太陽の光を浴びるのが効果的だそうです。これは科学的にも証明されているとか。

.

 さあ、書を捨て、外に出よう……って、今週は土日も年度末の棚卸で外に出られない!

.

 

 せめてサクラ、あと10日間もってくれないかなあ。

 

2008年3月10日 (月)

喪失感にシンクロ

 先日、従姉妹の納骨式に出席してきた。享年58歳、闘病の末、昨年癌でなくなり、百か日の法要と同時に納骨となった。

 墓地は新しく造成された小高い丘の上にあり、見晴らしがいい。周囲には桜の若木が植えられ、数年もすれば春にきれいな花を咲かせることだろう。墓石はシンプルな西洋風の横型で、目の細かな御影石が使われていた。

 旦那さんは警視庁のベテラン刑事。日々捜査に明け暮れ、あとわずかで定年、それからは女房孝行しようという矢先だった。

 日常的に殺人事件を扱い、一般人とは死に接する頻度が格段に多い旦那さんが、恋女房の死から3ヶ月、いまだに立ち直れないでいる様子が痛ましかった。

 彼は交番勤務時代、巡回で立ち寄った事務所で働いていた従姉妹に一目惚れし、ドラマにでもしたいような物語を経て結婚していた。

 ぼくは、自分自身の幸不幸に対しては、かなり耐性ができていると思っている。一度底つき感を体験した人間の脳は、多少のことに動じなくなっている(はずだ)。 だからぼくのモットーは人間万事塞翁が馬。いいことも悪いことも含めての人生だと思うように努めている。

 でも、だからと言って人生の機微まで捨てたわけではない。むしろ、年を重ねるごとに、煩悩は多くなってきている。わからないことも増えてきている。今回のことでいえば、夫婦の絆という目に見えないものを、確かに感じたように思う。

 納骨式から帰ってきた夜、ぼくは彼の喪失感に心がシンクロしてしまったようで、ひとり眠つけない夜を過ごした。

 脳は鍛えられても、心は、魂は、思うように強くなってくれないものだ。

 いや、もしかしたら強いとか弱いとかではなく、人の心とシンクロするのが、魂というものの本質、なのかもしれない。

 生生流転。 ひとつの命が去り、それでも春はまた巡ってきた。

 いま、ここに生きていることの不思議を想う。 

2008年2月29日 (金)

もっとカミングアウトを

 先日、ラジオのオールナイトニッポン40周年企画で、吉田拓郎が久々に登場して、自分の現状を話していた。

 拓郎は去年のコンサートツアーを体調不良という理由で途中から中止し、以来マスコミに一切出ないことから、憶測が飛び交っていた。

 本人によると、噂されている癌再発は完全否定し、やはり噂になっている鬱病についても、「(鬱病)というより、40年間ステージに立ってきたストレスと、高齢者特有の症状。こればかりは、若い人にどう説明してもわかってもらえないと思う」と語っていた。

 この発言からすると、「男性版・更年期障害」ということになるのだろう。亡くなった漫画家はらたいら氏が、やはり同じようなことを言っていた。

 酒は美味いし、人と話すことも苦痛ではない。だから鬱病ではない。でも、どうしようもないだるさや、やる気のなさに不意に襲われる、という。

 ぼくは、本人がどう言おうと、これは広い意味での鬱病ではないか、と思う。

 もう一人。

 突然日本という国のリーダー役を放り出してしまった安部前首相。

 いまだに胃腸の病気で体調が悪かった、と公式にはされているが、これも、どう考えてもその直前は鬱病だった、と見るのが自然だと思う。

 以前、三笠宮寛仁殿下がアルコール依存症であることを公表され、ぼくはその勇気に感動したことがある。自ら退路を断つと同時に、同じ病に苦しむ人たちの励ましになった。ぼくは、同じことを吉田拓郎や、安部前首相にも期待しているのだ。

 鬱も、アルコール依存症も、現役を続けていく上ではイメージダウンになるかもしれない。でも、年間3万人も自殺者が出る社会を軌道修正するためには、こうした人たちのカミングアウトが必要ではないだろうか。

 ぼく自身がブログでハンドルネームを使ったり、新聞の取材で匿名にしているのは、ぼくに知名度がないからだけのこと。

 

 拓郎さん、安部さん、もう少しだけ、同じ病に苦しんでいる人たちのこと、思い至ってもらえませんか?

  

 

2008年2月19日 (火)

遠くへ行きたい

 2月の連休の土曜日、関西から東海にかけて大雪が降っていた頃、ぼくは島根県の温泉津(ゆのつ)温泉の吉田屋という旅館でくつろいでいた。

 去年の同じ頃は奈良へドライブ旅行した。ときどき思い切り車で遠乗りしたくなるのだが、観光シーズンの連休は渋滞がつきもの。この2月の連休はそういった意味でけっこう穴場的な時期なのだ。

 なぜ温泉津温泉の吉田屋旅館なのか

 仕事を通じて知り合ったのだが、片岡勝という、銀行を辞めて起業家となり、また若者の起業支援も行なっている人物がいる。その片岡氏の教え子が本を出版することになり、発売前に原稿を読む機会があった。

タイトルは「週末は若女将」。サブタイトルに「『楽しい』を仕事にする私たちの挑戦」とあり、オビには「24歳、世界遺産石見銀山の老舗旅館『吉田屋』を再生」と大きく書かれている。この内容がえらく面白かった。(もう発売になっているはずなので、興味がある方はネット検索してみてください)。

あと、つい先日直木賞を受賞した桜庭一樹氏は島根県の出身で、受賞作ではないが「赤朽葉家の伝説」という小説は山陰が舞台になっていた。これも印象に残る内容だった。

山陰の冬、温泉につかるのも悪くない。今回の旅のテーマは「遠くに行きたい」ということで……ふらっと旅に出るのに憧れていたし、たどり着かなければそれでもいい、くらいの軽い気分でハンドルを握った。

結論からいうと、波乱はあったが、とても良い旅になった。「吉田屋」では女将の山根多恵さんはじめ若いスタッフに元気を分けてもらった。

ただ、予想していたことだが、この時期の天候には右往左往させられた。「西の方に旅行してくるから」とだけ伝えておいた姉からは「あんた、今どこにいるの? 大丈夫なの?」と珍しくメールがあった。この姉はぼくと違い肝の据わった大物で、めったなことではあわてないのだが、さすがに心配になったようだ。 さらには幹線道路が通行止めになる中、友人からは首都圏の雪情報を送ってもらったりして、ありがたかった。

温泉津温泉というのは、「男はつらいよ」シリーズの舞台にもなったことがある昔ながらの温泉街で、かなりALAYS的な雰囲気が残っている。ぼくはお願いして、玄関前で「吉田屋」スタッフの人たち(みんな若い女性!)と記念写真をとり、「それじゃ、みなさんお達者で!!」と寅さん気分で宿を後にしたのだ。

そのあとに、「チェーンこんがらがっちゃいました事件」とか「フロントガラス高速道路で亀裂事件」などが待ち受けているなどとはつゆ知らずに……。

今回は断酒とも鬱とも何の関係もない話に終始しちゃいました。

あえて結びつけるなら、今はこんなに元気にやっています、ということですかね。

続きはこの次にでも、機会がありましたら。

2008年2月 6日 (水)

ゴールは見えなくてもいい

 3月決算の会社は、目標達成に向けてお尻に火がついてくる時期。

.

 ぼくのいる部署も例外ではなく、「特攻精神で行けーっ!!」とムチが入っている。「あの~、特攻すると玉砕しちゃうんですけど……、」なんてとても言えない雰囲気。まあ、ぼくの場合はこうしてネタにしているくらいだから、あまり深刻に思ってはいないけど。

.

 

 久里浜アルコール症センターの担当Dr.に、いつも注意されていることがある。 それは、「仕事とは一定の距離をとること」。

.

 ぼくには家庭面でのストレスはほとんどない。というか、家庭がない。これはこれで大きな問題ではあるのだが、当面のストレスは仕事に集中する。Dr.はそれがわかっているから、通院の際にぼくが仕事の話ばかりするようになると、しっかりと釘を刺してくれるのだ。 これは相当にありがたい。

.

 断酒にゴールはない。だから、毎日そればかり意識しているわけにはいかない。ゴールがあれば一心不乱に頑張ることも出来るだろうが、ゴールが見えないと、人は自然と道草を楽しむようになる。

.

 このブログを開設してもうじき丸2年になろうとしている。

 読み返してみると、無駄話、与太話が多い。それでいいと思っている。

.

 できれば仕事に対してもこんな姿勢を貫きたい。 もっとも、言うは易しで、勤め人の身なればままならぬことも多いが、そんなときぼくはDr.の言葉を反芻する。

 「仕事とは一定の距離をとること」

.

 そんなわけで、この連休はひとり長距離ドライブを楽しんでくるつもり。

 ゴールは決めていない。

自由と孤独は相性がいいのだ。

 

2008年2月 1日 (金)

平常営業に戻りました

 前回、前々回と、読売新聞の記事を転載したので、文章量が多くなっていましたが、今回から平常営業にもどります。 あと、記事を見てこのブログに来ていただいた方、コメント寄せてくれた方にはとても感謝しておりますが、当ブログの平常営業(更新)はだいたい月1~2回ペースですので、気長にお付き合いください。どうも肩の力を抜く生き方を覚えたら、ナマケモノ主義が身についてきたというか、あまり頑張らなくなっていますもので。

.

 今回の掲載に当たっては、自慢できる話でもないので匿名にしていただきましたが、やはり新聞に載るというのは嬉しくて、何人かのごく親しい人には知らせました。