無料ブログはココログ

2014年9月13日 (土)

9年目の断酒記念日

 

 今日9.13は、ぼくの9回目の断酒記念日。

 

 断酒を誓ってから、まる9年が経過した。明日から10年目の旅が始まる。

 

 先週、三陸から下北半島を経て、山形県鶴岡市のクラゲ水族館を回ってきた。ほぼ北日本半周、走行距離2200キロをひとりで運転してきた。

 

 昨年は精神的に最悪に落ち込んでいたので、今年ここまで回復できたのが自分でも嬉しい。

 

 すべての日本人にとって3.11がひとつの座標軸になっているように、ぼくにとっての9.13も大切な節目だ。 今年は会社を辞めて生活は不安定になったが、これまでになく自由な9.13を過ごすことができている。

 

 9年間、酒を一滴も飲まなかったということ。それをほぼ毎月このブログで発信し続けたこと。これはぼくにとって自信になっているし、勲章だとも思っている。記録を読み返すと、9年間のもろもろが去就する。いろいろなことがあった。

 

 

 もし過去のブログ記事からここに辿り着いてくれたご同病の方がいるなら。

 

 アルコール依存症は、病気なのだということを、しっかり頭においてください。

 

 意志薄弱だ、怠けものだ、などと言われて、自暴自棄にならないでください。

 

 しっかり治療すれば、治る病気です。ここに9年間の実例がいます。

 

 ただし、断酒の継続は、簡単でないのも事実。

 

 もがきながら、でも、決めたことだから。一緒にこれからも歩いて行きましょう。

 

  来年、10周年の報告ができますように。

 

 

2013年11月25日 (月)

自宅療養中2

 「適応障害」の自宅療養期間が2か月延びてしまった。先週診断書が出て、1月まで引き続き休むことになった。

 肉体的には健康だし、精神面でも特定の部分を除けばふつうの人と変わらないと思う。「ほんとうに病気なの?」と言われることもある。ジムで汗を流したり、多摩川沿いをママチャリで走っている姿を職場の人が見たら、ずる休み呼ばわりされそうだ。

 ただ、多摩川沿いを走っていても、どこか心に引っかかりがある。秋晴れなのに、景色を楽しまず、雑念が頭の中をぐるぐる回っている。 朝目覚めた時の気分もすっきりしない。会社での嫌なことを夢に見ていたりする。 要するに、仕事や会社のことになると障害が生じてしまうのだ。それでも当初の頃に比べたらずいぶんとよくなったのだが。

 まだ復職には至らず、というのが主治医の見立てだ。

 職場ではすでにぼくの後任が決まって仕事に就いている。無理して復帰を急ぐ必要もない。戻ればすぐに別の職場に行くことになるだろう。どうにも中途半端な存在になってしまった。

 正直、いま、会社に残るべきか迷っている。この十数年、会社の業績はずっと下がり続け、社内の雰囲気も決して良好とはいえない。断酒して8年、ずいぶん我慢してきたが、その結果が自宅療養という現状ならば、潮時なのかもしれないと思ったりする。

 膠着状態に陥ったときは、自分から環境を変えてみるのも有効な手段だ。断酒も同じようなことだった。 環境が変われば、自分が変わる可能性も大きくなる。

 こういうとき、独身者は便利だ。養うべき人がいないから、自分の都合だけ考えればいい。 もっとも、その分、最期を看取ってくれる人もいないのだから、帳尻は合うようにできているのだが。

 延長になった2か月で、じっくり考えてみたいと思っている。

 

2013年2月11日 (月)

インフルエンザと孤立

 インフルエンザA型にかかって、2月上旬5間会社を休んだ。ウィルスが検出されたらすぐに「イナビル」という吸引タイプの薬が処方され、翌日から5日間は家から出ないで安静にしていなさいという医師の指示だった。

 会社でもじわじわと患者は増えていたし、同じ職場の女性は予防接種をしたにもかかわらず、ぼくとほぼ同時期に発症していた。同じ職場で2人抜けるのは申し訳なかったが、こればかりは無理して出ることができない。身体にウィルスが残っている間は、おとなしく自宅で待機しているしかないのだ。

 もっとも、今回のインフルエンザは毒性が強いのか、ぼくとの相性が悪かったのか、熱こそ3日ほどで下がったが、節々の痛みやだるさ、食欲不振はいまだ元に戻っていない。

 さて。復帰して5日ぶりに会社に行ったら、上司から、ぼくが病欠している間に職場の問題点が表面化したとかで、対応に即追われることになった。今、どこの企業、職場でもそうだろうが、ぎりぎりの人員で対応している。突発的な仕事が発生した時は、ぼくのような中間管理職が現場作業の穴を埋めるしかないのだが、今回突然のことで、それができなかった。かくして、病欠明けの日に遅くまで残業することになった。

 仕事の話はまあ、いい(よくはないが、どうせ愚痴になってしまう)。

 今回身に滲みたのは、芥川龍之介ではないが、「漠然とした不安」をぼくが、自分の生活の中に見つけてしまった、気がついてしまった、ということ。

 病気になっても、健康保険のおかげで金銭的な心配なしに医療機関にかかれるし、会社も正社員であればある程度の病欠は面倒見てくれる。物質的、制度的には恵まれていると思う。

 でも、なにかが足りなかった。5日間、近くのコンビニで買うお粥パックやサンドイッチ類がぼくのライフラインだった。嗚呼、こうしてこれから先年老いて病気になったら、こういう生活が続くのかと思ったら、気持ちが滅入った。

 独り身歴が長く、ぼく自身、自分は孤独とうまくつきあっていける種類の人間だと思っていた。 甘かったかもしれない。

 

 今年はいつもより切実に、春が待ち遠しい。 

 

2012年9月 6日 (木)

7年目の断酒記念日

 来週の9月13日は、ぼくの7回目の断酒記念日になる。

 先日、月一回の久里浜通院の折、病院の丘でぼーっと海を見ていた。右には三浦半島、左には房総半島が望める。ぼくの好きな場所だ。

 あとからやってきた比較的若い男性の入院患者5人の会話が、聞くとはなしに耳に入ってきた。

「あのじいさん、退院したらまた飲むって。俺は病気じゃないから、節酒で大丈夫なんだって」

「○号室の××さん、床屋の予約入れたからって、認知療法さぼって先生に叱られてた」

「そうやって退院して、また酒飲んで、動けなくなると入院して酒抜いているんだよ。別荘のつもりなんだな、医療費免除だから」

「ああ、俺もはやく退院してえ!」

 7年たっても断酒病棟の日常に変わりはないようだ。 確信犯の常習者はさておき。ぼくは、入院中の5人に話しかけたい誘惑に一瞬かられた。

「そう言っているあなたたちも、退院して断酒できるのはよくて5人のうち1人なんだよ」と。(もちろん余計なお世話なので、やめておいたが。)

 アルコール依存症の初回退院後の再発率は、専門病院で治療を受けても8割(一説によるともっと高いとも)といわれる。 その数字を知ると、7年間、よくもってきたなと自分でも思う。ぼくは特別意志が強い人間ではない(強ければそもそもアル中になるまで呑み過ぎたりしない)。 ただ、切実に思うことはある。

 もう、脳や肝臓が硬く萎縮するような生活には、戻りたくない、と。深い鬱の闇に堕ちたくない、と。 

さいわい、50代前半で70代にまで萎縮してしまった脳は、断酒後3年目の検査によると、もとに戻ってくれた。でも、これからは、歳相応に老化していく。60になれば60の脳になっているだろう。それでも、一足飛びに脳年齢がスキップしてしまうよりはよほどいい。歳相応なら充分ではないか。

 8月末、遅い夏休みをとって、青森までひとり愛車MINIで往復してきた。十和田湖近くの蔦温泉に泊まり、蔦山を散策し、奥入瀬渓流を歩き、帰りは秋田駒ケ岳の秘湯、国見温泉につかり、4泊4日という慌ただしさながら、ドライブと自然を楽しんだ。 山ガール(というかレベルは山女)の後輩の指導を受け、トレッキングシューズも新調していった。運動嫌いの自分が、登山靴を買うようになるとは、これまた自分でも驚いている。

  

何かをやり続ける人生でなく、やめることを続ける人生。後ろ向きのようでもあり、前向きのようでもあり、白黒はっきりしないところが、なんとなく自分らしいかなと思ったりする。

 

面白いのは、やめる生活も7年間続けていると、なにか新しいことを始めたくなる、ということだ。……うん、われながら禅問答のような、哲学的な回答が得られた気がする。一度高野豆腐になった脳ミソだが、なんとか歳相応には維持できているかな(最近モノ忘れが多くなってきて、ちょっと不安もあるけれど)。

2012年7月18日 (水)

コパトーン

 関東地方などで梅雨明け。 今年も暑い夏になりそうだ。

 3連休の一日、多摩川のサイクリングロードを、自転車で走ってきた。

 日焼け止めクリームなど塗らなかったものだから、半曇の半日だったのに、露出している部分はみごとに日に焼けて赤くなった。 「ああ、夏はこれだよな~」と火照った肌に冷たいシャワーを浴びながら、昔の夏を思い出していた。

 ぼくがいちばんアクティブだった10代~30代前半くらいまで、夏、日に焼けて黒くなることは当たり前だった。 ドラッグストアの店頭には、「日焼けオイル」が並んでいた。「日焼け止め」ではないところに時代を感じる。 コパトーンというオイルがあって、松田聖子の歌にも「~背中にコパトーン~」という歌詞があった。

 

 ぼくは夏の海やプールでコパトーンを塗って、ビーチパラソルや棕櫚(シュロ)の木陰でウォークマンを聴いたり(これも松田聖子の歌にあるシチュエーションだ)、本を読むのが好きだった。 日に焼けたあとの皮がむけ始めるときのかゆみが、夏のイメージと今も重なっている。

 時代は移り、人々は日焼けを極端に避けるようになった。 ぼくも、さすがに夏は海で全身日光浴、なんてことはしなくなった。 それどころか、いつの間にか、あれほど好きだった夏という季節が、それほど待ち遠しくなくなってきている。

 コパトーンの甘いココナツオイルの香りにつつまれた夏。それは、ぼくだけでなく、日本という国自体が、青春真っ只中の季節だったように思えてくる。

 もうすぐ誕生日、日に焼けた腕を見ながら、ふとそんな感慨にとらわれていた。(まだ「枯れ」はしないけどね。たぶん。)。 

 

2012年6月10日 (日)

合掌 三笠宮寛仁殿下

 ひげの殿下として親しまれた三笠宮寛仁親王が66歳で逝去された。

 アルコール依存症患者の間で、寛仁殿下は同病の著名人(天上人?)として親近感のある存在だった。自ら「自分はアルコール依存症」と公言していて、数年前には実際に医師団が断酒の指導をしたとも報道された。たぶんこのブログでも、ずいぶん以前に取り上げたことがあったはずだ。

 

 殿下の直接の死因は咽頭部分から発生した癌の転移だが、アルコールと食道癌発生にはあきらかな関連性がある。タバコと肺癌の関係、のようなものだろうか。殿下のアルコール多飲がいつまでどのように続いていたかは知らないが、早い時期に酒を断っていれば、あるいは病状も違った進行になったのではないか、と思えなくもない。

 噂だが、アルコール依存の高かった時期には公務に穴をあけられることもあったとか。ご逝去に際して若かりし頃の姿が画像としてテレビに流れていたが、どちらかといえば堅肥りの健康そうな顔つき、体つきだった。それが急激に痩せられていった。自分もそうだったし、久里浜に入院してくる人たちもそうだが、酒害で病んだ人特有の痩せ方。そこからさらにいくつもの治療・闘病を繰り返されたのだから、さぞつらかっただろうと想像する。

 人の訃報に接すると、その人の年齢が気になるようになってきた。

 以前なら66歳と聞いて、「ちょっと早いかな」程度だったのが、今は「早すぎる」と思う。 一般人より医療環境には恵まれているはずの皇族でも、酒の毒から完全に逃れるのはむずかしかったのか。 人の人生を長短で測るのは愚かなことだが、残念ことだと思う。

 ぼくが断酒を続けてそろそろ7年。あのまま酒を飲み続けた別の自分がいるとしたら、どんな状態になっているだろう。 たぶん、すでにこの世にはいないのではないか。 病気か自らの手によってか、いずれにせよ、あのままだったなら……。

 いくつもの行き止まりや落とし穴の隠された迷路を、ぼくたちは手探りで歩いている。今も歩いていられるのは、いくつもの幸運が重なった結果なのだと思う。幸運が重なりいまを生きている。 考えてみたら、なんと神秘的なことだろう。

 

2012年4月19日 (木)

3月危機!!でした

 今年の3月は寒かったが、ぼく自身も心の調子を乱してしまって、かなりきつい時期だった。

 もともと木の芽時というのか、季節の変わり目、とくに冬から春にかけて心身のバランスを崩しやすい。 今年はそれに加えて、親しい叔父の死、という状況が加わった。

 2月の始めに同級生が癌で亡くなった。そのこともあってか、数年前から癌の闘病生活をしていた叔父のことが気になり、息子、ぼくにとっては従兄弟に電話をかけた。電話口で従兄弟は言った。

「虫の知らせかね。実は今日、家族が医師に呼ばれ末期の宣告を受けた。会いに来てあげて」と。

 すぐに駆けつけて、意識のしっかりしているときに話ができたのが救いだった。病室で二人きりになった時には、遺言めいたことも叔父は口にした。そのことについては、また日をあらためて記してみたいと思っている。衰弱は思ったより早く進んだ。

 母の弟であるこの叔父に、ぼくはずいぶんと世話になったし、影響も受けた。趣味人で英語が堪能で、連れ合いの叔母を早くになくしてからは、独居しながら自宅で模型店を営んでいた。318日逝去。家が近かったぼくは、できるだけ葬儀の手伝いにも出かけた。

 葬儀、もっと端的に言ってしまえば、人の死に関して、当事者として関わることはあまり多くないと思う。ぼくも正直に言って、これまで両親や一握りの知人友人以外で、その人の死を本当に自分の内のことと実感したことはあまりない。 今回、叔父の死に関して、ぼくは当事者だった。 納棺のとき、ぼくは何年ぶりかで涙を流した。

 仕事面でも3月は期末決算の時期で忙しかった。典型的な斜陽産業となってしまった会社は人を減らし、ひとり当たりの仕事量が格段に増えている。これだけ働いてなぜこの国は赤字なのかと思うほど、仕事をした。そうして働いても成果は上がらず、褒められもしない。

 と、こんな調子の3月だったわけです。ヤバイなと感じたのは、休日の夕食でもコンビニのサンドイッチで棲ませてばかりいることに気づいたとき。久里浜退院後、独り暮らしなので食生活には気を配ってきたつもりだった。そこのタガが外れてしまった。眠剤を飲んで眠れないと、酒に酔ったような状態になることも経験した。こんなことを繰り返していたらまた脳が萎縮してしまうと怖くなった。

 4月にはいって、久里浜アルコール症センターに通院し、担当Dr.に状況を訴えた。Dr.は、

「理由のはっきりした不調は、時間が解決してくれると思います。好きなドライブでも存分に楽しんでください。それから、眠剤を服用するのは寝る前にしてくださいね」

 と、実に的確なアドバイスをしてくれた。

 こうして愚痴めいたことを書くのも、発散するという自己防衛なのかもしれない。読むほうは辛気臭いでしょうが、お付き合いいただきました。スミマセン。

 気がつけば、春だ~。

2012年3月15日 (木)

人生の扉 by まりあ

「春がまた来るたび ひとつ年を重ね

目に映る景色も 少しずつ変わるよ

陽気にはしゃいでいた 幼い日は遠く

気がつけば五十路を 超えた私がいる

信じられない速さで 時は過ぎ去ると 知ってしまったら

どんな小さなことも 覚えていたいと 心が言ったよ」

竹内まりあの「人生の扉」という曲の1番の歌詞です。

最近、この曲がとても心に滲みるようになった。

昔は好きだった冬という季節が、だんだんと辛く感じられるようになり、春を待ちわびる自分に気づく。そして、あと何回、春を迎えるのだろうと思う。

ずいぶん遠くまで来てしまったなあ、と春が近づくと思うですよ(笑)

鬱ではないけれど、憂い心沈む時間がふと訪れることが増えた。酒への未練だってまったく消えたわけではないし(汗)。その他もろもろの煩悩や鬱屈も含めて(汗汗)。

ちょっと疲れても仕方ないのかなあ。ええ、ちょっと最近、うつむいています。

 でも、この曲は最後でこう締めくくられる。

「君のデニムの青が 褪せてゆくほど 味わい増すように

長い旅路の果てに 輝く何かが 誰にでもあるさ」

輝く何かが、あるといいなあ。

「春よ来い。早く来い」

こちらはbyユーミン。

この曲も好きです。

なんだか、総じて女性の方が前向きですね。長生きの秘訣もこの辺にありそう。

2012年2月20日 (月)

精神疾患のアンケートを受けてきました

 2月の久里浜アルコール症センターへの通院では、担当Dr.に依頼されて、通常の受診とは別に、アンケート調査に協力してきた。

 テーマは、アルコール依存症と他の精神疾患の関係性について。硬いですね(笑)。

 アルコール依存症になる人には、ぼくのように鬱病とか、あるいは統合失調症とか、家庭内暴力者とか、ほかの精神病にも罹患しているケースが多いといわれている。今回、実際にアンケート調査を行なうことで、その実態をより明確にするのが目的だということだった。

 事前に30枚ほどに及ぶアンケート用紙の設問に、はい、いいえ、どちらかに丸をつけておき、Dr.が口頭で気になる部分について質問する、という簡単なもの。「天からの声が聞こえますか」とか「15歳前に薬物やシンナーを使用しましたか」などという質問もあって、自分は当てはまらないと思っていたが、「過去自殺未遂をしたことはありますか」「自傷行為を行なったことはありますか」などには「はい」に丸をせざるを得なかった。どこまでを未遂というかはっきりしないが、追い詰められた時期があったのは事実だし、酔うと指先をカッターで切って血を流した時期もあった。死に親和性がある人とそうでない人で区別するなら、ぼくはあきらかに前者であり、それはやはり気を病んでいるということになるのだろう。

 孤立感を感じるかと問われ、現代社会で感じない人はいないだろうと思ったが、Dr.の質問に答えていくうち、自分がなぜそう感じるに至ったか、具体的に見えてもきた。ふだん意識下にしまっている係累との確執も、自分を孤立させている要因だとわかってきた。

 Dr.は「嫌な気分にさせる質問が多くてすみませんね」と言ってくれたが、ぼくにとっては無料でカウンセリングを長時間受けられた気がして、終わったらなんだかすっきりとした気分にさえなっていた。

 可笑しかったのは、調査は断酒6ヶ月以上の人間が対象なのだが、「アンケートお願いしたあとスリップ(再飲酒)しちゃった人がいましてねえ……」とDr.が頭を抱えていたこと。かくも断酒はむずかしいのです。

2012年1月14日 (土)

人身事故

 年が明け、会社帰りの地下鉄に乗ろうとする際、電光掲示板に「××線、人身事故のためダイヤが乱れています」と表示されているのを、ほぼ3日に2回は見ている。

 暮れも多かったが、年が新たになっても、飛び込み自殺が後をたたない。

 この国の自殺者数は昨年も3万人を超えた。年間自殺者3万人超は14年連続だ。

 かつて自分自身、そのことと無縁ではなかった。鬱病、そしてアルコール依存症のときは、正直、自死念慮がどこかに張り付いていた。未遂とまではいかないが、ぼんやりと電車の来るホームに佇んでいたことも何度かあった。

紙一重だったのか、そこから先が遥かに遠いのかはわからない。いま、健康になって振り返ると、やはり病んでいたのだな、と思う。精神も、肉体も。

 生きていたいな、といまは素直に口にできる。

明治維新の頃に比べ、日本人は弱体化したというような論調をよく耳にする。「坂の上の雲」などを読んだりすると、そういう面があるのは否定しない。

でも、少なくとも、日本は凄惨な過去を経て、「平和」を望む国となった。賛否両論ある憲法九条だが、平和憲法自体の理念を否定する人は少ないだろう。それだけ、あるいはその面だけは、日本は成熟したのだ。 暴れん坊の若者が、相手も自分も極限まで傷つけて、ようやく大人になったように。

大震災、原発事故という疫災をきっかけに、この国の人が、もっと生きることを大事にできるようになるといい。 あれだけ運気が下に振れたのだから、今度は上昇に転じる番だ。万事塞翁が馬、大丈夫、世の中わるいことばかり続くものではない。

人身事故のアナウンスを聞くたびに、いま、じぶんが生きている不思議を感じる。日常の小さな幸、不幸に、一喜一憂しながらも……。

より以前の記事一覧

最近のトラックバック

2019年3月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31